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shadow様、たった今7/14になりました。

誕生日おめでとうございます。

コラムや雑記から想像すると、みゆより随分と年上なのだろうと考えてしまうのですが、

お幾つになられたのか、今のみゆにはまだ検討もつきません。

(20歳、30歳ぐらい上にも思ったこともあるのですよ)

ともあれ、shadow様にとって良い一年になりますように。

沢山の幸福がshadow様に訪れますように、みゆはお祈りしております。

出来ることならバースデーカードの一つもお送りしたい、

直接「おめでとうございます」って言ってみたい。

考えればきりがありません。

でも今のみゆにはそれは無理なこと。

そこで思いついたのです。

一番にバースデーメールをお送りしちゃおうって。

ずっとドキドキしながら時計をみていたんですよ。

まるで子供みたい。

でもきっとみゆと同じ事を考えている方が絶対、お一人はいらっしゃるはず!!

(いないかしら・・・)

そんなことを考えるとなんだかおかしくなっちゃいました(笑)

さっきshadow様のサイトを拝見したらしのぶ様のメールがありました。

すごく嬉しくって、「がんばりましょうね、しのぶ様」と、思わず話しかけてしまいました。

みゆはまだ掲示板の書き方が分からないのですが

(と、いうか掲示板という物がどれなのかわからないのです)

もしかしたらしのぶ様ともお話できるかも・・・などとも思ってしまいました。

このごろみゆは少し欲張りになりつつあるようです。

気をつけなくてはいけませんね。

まだ書き足りないけれど続きはまた明日にします。

それでは、お休みなさいshadow様。

愛をこめて・・・。

みゆ


------------------------------7/26--------------------------------


今日みゆは、久しぶりにジュンク堂に行って来ました。

数え切れない沢山の本。

新しいインクの匂い。

やっぱり本のある空間は落ち着きます。

家の本棚にも沢山本はあるのだけれどまだ誰の物にもなっておらず、

自分を必要としてくれる人を待つ沢山の本を見ると、一冊残らず全て持って帰りたくなってしまうほど。

そんなことを考えている為、実際に購入する時に、みゆはいつもとても迷うのです。

目的の本があって購入するために足を運んだにも関わらず、

それよりも何倍も興味をひかれる本に出会ってしまうといつの間にかそちらを優先してしまう。

そして決まって家につく頃に「また買いそこねちゃった・・・。」と思い出すのです。

(ただ物忘れが激しいだけなような気もしますが)

家が本屋だったら良かったのにと昔は随分思ったものです。

毎日、本に囲まれ暮らす。

幸せでしょうね。

でも、そしたら自分のすきなジャンルばかり集めてしまいそう。

おまけに本の扱いが乱暴そうな人には売らなかったり、追い返したりして・・・。

なんだかあっと言う間に潰れてしまいそう。

やっぱり商売向きではないのかもしれません。

ひと通り回った後、画集のコーナーにも行ったのですが、

shadow様のおっしゃっていた責め絵はもう、なかったようでした。

ちょっとがっかり。

荒木先生の写真集のコーナーにはまたもや若い男の方の集団。

そんなに荒木先生は男の方に人気があるのでしょうか?

今、ブームなのかしら?

次回こそは絶対見てやろうと心に決めたみゆなのでした。

本当は今回も沢山本を購入したかったのですが、既に家の本棚がいっぱいになってしまっている為、

今日は文庫本3冊のみです。

新書で400冊収納可能の本棚との事だったのですが、予想外に早く埋まってしまったのです。

かといって大切な本を捨てるなんて言語道断。

その為、新しい本棚を購入するまではじっと我慢です。



火傷の水疱も少しづつ小さくなってきました。

ずっと冷やし続けていた為、もう痛みはほとんどありません。

ご心配おかけしました、shadow様。

水疱があるのでちょっと感覚が鈍いのですが、キーボードもちゃんと叩けるようになりました。

もう、大丈夫みたいです。

でもすごいんですよ。

触ってみるとプニプニとしていて、猫の肉球のようです。

でも本物はもっと固いのかしら。

(そんな変なことを考えるのはきっとみゆぐらいのものでしょうね。)

触らないようにと思っているのですが、つい気になってしまって。



またメールお送りします。

お身体気をつけてお過ごし下さいね。

それでは、おやすみなさい。

みゆ


------------------------------7/28----------------------------------


科学の発達に伴い、遙かな昔からこの世界を埋め尽くし、

人々に夢を与え続けていた「謎」や「不思議」は今、少しづつ姿を消しつつあるのでしょうね。

私達がまだ純粋に「どうしてなのだろう?」と思う事は一体どれくらい残っているのでしょうか?

「この世には不思議なことなど何一つないのだ」と、

みゆの大好きな小説家の先生はそう作品中にこの言葉を使いました。

残り少ない「不思議」や「謎」にも全ての事には原因があり、

何が何でも解明しようとしている人も少なくはないのでしょう。

出来ることならばほんのちょっぴり「科学では解明できないこと」を残していてくれたならば、

私たちはその「謎」や「不思議」に沢山の思いを馳せることが出来るでしょう。

それはとてもとても素敵な事ですね。

初めてあの小さく欠けた月や雨上がりの空を飾る鮮やかな虹を目にした人達は、

一体どんな事を思ったのでしょう・・・?

その頃に生きていなかった事が残念です。

恥ずかしながらみゆは、あまり写真について知っていることは少なくて

まだ荒木先生がどんな写真をとるどんな写真家なのか未だによく分かりません。

世間一般の評価からすると「良い写真を撮る方」なのだと判断するしかありません。

でもその作品を実際目の前にしてどう感じるかは十人十色なのだと思います。

「好き、嫌いにはっきり別れる写真を撮る写真家」だと、

前に何かの本そんなことがが載っていたのを思い出しました。

実際にその写真がどんなものなのか、みゆにはまだ分かりません。

でもshadow様が「世間が言うほど凄いとは思えない」とお考えだとして、

それは決してshadow様のセンスが欠如しているという問題では無く、

「自分に合う、合わない」だけなのだとみゆは思うのです。

2ヶ月ほど前にだんな様のパソコンで拝見したshadow様の撮影されたお写真は、

今でもみゆの頭の中に焼き付いているようで忘れることは出来ません。

とても綺麗で、素晴らしくて。

お慕いしているshadow様が撮影したお写真だから余計にそう思えた、

という事も全くなかった訳ではないのでしょうけれど、

人の身体を(それも裸体を)こんなに綺麗に写すことが出来る「写真」という物に、

そして撮影されたshadow様にとても驚き、素直に感動さえしてしまいました。

プロのモデルさんとプロのカメラマンで本当は作ったものなのではないかと思い、

みゆは初めは信じられなかったぐらいです。

(疑ってしまって申し訳ありませんでした、どうかお許し下さいね)

今のみゆには「素敵な写真を撮られる写真家」としては未だしらない荒木先生より、

shadow様の方が上だと思っています。

みゆにとってはshadow様のお写真は「みゆに合う」ものなのでしょうね。

すごく好きです。

そしてshadow様がみゆの心の中についていて下さり、みゆがそうお慕いしている分、

これからもそれは変わらない事でしょう。

みゆもいつの日か被写体の一人として・・・

ああ、駄目ですね。

みゆはまた急ぎすぎているようです。

まだまだそれは遠い先の事になることでしょう。

それまでに身体をピカピカに磨き上げておかなくてはなりません。

勿論中身も、です、shadow様。

みゆは頑張ります。


>しっかり食事して栄養とるように・・・

どうしてshadow様にはこんなにみゆの事が分かってしまうのでしょうか?

やっぱりヨーグルトとカフェオレのみでは駄目ですよね。

この2日間はこれらとミネラルウォーターでの生活です。

食べ物の匂いだけでもうお腹いっぱいになってしまうようで・・・。

(このままでは胃も小さくなってしまいそう。)

今晩からは頑張ってちゃんと食べるようにします。

shadow様もお気をつけてくださいね。

今日はみゆはとても生意気なことばかり書いてしまいました。

まだみゆは言葉の使い方が下手で恥ずかしい限りです。

申し訳ありませんでした。

みゆはただshadow様のお写真が何より好きだと申し上げたかったのです。

お気を悪くなさらないで下さいね。

それではまた明日です。


みゆ


-------------------------------8/1----------------------------------


昨日、shadow様から写真についてのお話を伺って、

みゆは数年前に一度だけ行った写真展の事を思い出しました。

shadow様はご存じでしょうか?

ジャーナリズムのアカデミー賞といわれ世界で最も権威ある賞の一つであるといわれるピュリツァー賞。

みゆが行ったのはその写真展です。

でも会場である美術館に着くまで「ピュリツァー賞」の存在自体みゆは全く知らずにいたのです。

美術館めぐりが大好きなみゆですが、ほとんどが絵画で、

写真を見に美術館に行ったのは初めてのことだったのです。

別な用でチケットショップに行った時、張られていたポスターで知り、

みゆがそのあと何の予定も入っておらず、ここから直ぐ近くの美術館で行われている。

本当に「これから暇だからちょっと寄って行こうかしら・・・。」といった軽い気持ちだったのです。

今、考えるとよく、あんなにタイミングが合ったものだと感心してしまうほど。

ほんの暇つぶし程度の気持ちで行ったのですが、美術館を出た時にはもう外には月が出ており、

かれこれ4時間近くもそこで過ごしてしまった事を覚えています。

みゆにその作品達は衝撃でした。

良い意味でも。

悪い意味でも。

今も手元にはその時購入した写真集が残っています。

周りの沢山の友人達にねだられ、回し読みされて、

みゆの手元に戻ってきた時には表紙や背表紙に幾つもの傷がつけられ、

汚されてしまったページもあるけれど、今も大切に自分の側に置いておきたい本の一つです。

数ある作品の中でも今でも心に強烈に焼き付いてしまっているものが一つあるのです。

「スーダンの飢えた少女」とタイトルをつけられたその写真は、内戦に加え、

干ばつと伝染病で深刻な危機に見舞われたアフリカのスーダンで撮られた物でした。

写真の前方でうずくまっている少女、そして後方でじっと少女を見つめているハゲワシ。

そのまるまると太ったハゲワシは食料センターにたどり着けなくなった骨と

皮ばかりになってうずくまるその少女の死をじっと待っているのです。

もちろん、自分が生きて行くために。

その瞬間を撮したものでした。

生と死が隣り合わせにある世界。

日本では到底考えられない事です。

みゆは思わず言葉を失ってしまいました。

ピュリツァー賞を受賞した時にこのカメラマンは激しく批判されたそうです。

シャッターを切る前に、撮影より先に少女を助けるべきだったと。

受賞3ヶ月後このカメラマンは自ら命を絶ったそうです。

shadow様が求めていらっしゃる作品とこれらは全く違うものなのでしょう。

だけれども同じ「写真」。

そして心に残る作品という事には変わりありません。

shadow様のお写真、同じように同じくらいに、みゆの心に残っています。

写真集を久しぶりに開いてみたら、唐突に写真展に行きたくなってしまいました。

どんな作品であるにせよ心惹かれる作品に出会えるほど嬉しいことはないのですもの。

shadow様は写真展などには行かれるのでしょうか?



掲示板、すごく楽しいのですよ。

他の方のお話を聞けるという事がこんなに勉強になることだとは思っても見ませんでした。

みゆいつもは教えていただく事ばかりです。

皆さんとても優しくして下さるし、本好きの方もいらっしゃって、お勧めも教えて頂いたりしています。

「あまりshadow様にはお話ししないようにしましょう」と言う約束なのでみゆはここまでです。

「とっても楽しいです」という事をちょっぴり御報告したかったのです。

それでは、また明日です。

お忙しいとお聞きしています。

明日もお休みでは無いのかもしれませんね。

お体御自愛ください。

みゆも頑張ってご飯食べます。



みゆ


       -------------------10/25--------------------



馬鹿なお願いをしてしまったなぁと、ちょっと後悔しています。

でもでも、頑張ります、御主人様。



みゆが「御主人様」とお呼びするお許しを頂いてからもうすぐ2ヶ月が過ぎようとしています。

怠くて、ごはんが喉を通らなかったあの暑かった夏の日。

暇さえあれば、頭の中ではいつも御主人様を思い描いていた気がします。

身長、体重からだいたいの体型は想像できるのに、首から上がいつも真っ黒。

夢の中では直ぐお隣にいらっしゃるのにどうしてもお顔を見ることが出来ない。

どうしてもお顔を一目見ようと、思い切って顔を上げたら、

さらさらと指の間から崩れ落ちてしまった御主人様。

もうすぐ、御主人様は本当の現実の「御主人様」となるのですね。

「もう少し余裕があれば・・・」

約束の一日前きっとそう思うだろう、と言うご主人様のお言葉。

まだ、少し余裕があるにも関わらず、既にみゆは御主人様の仰った状態に陥っています。

思い切って飛び込んでしまえば、今よりも、もっともっと確かな精神的、肉体的にもバランス

のとれた安定がはかれ、強いて言えばみゆ自身が望んでいた「自分を解放する事」になるというのに。

狂おしいくらいの待ち遠しさと、今までずっと心の中に押し込めてきた分、

徐々に凶暴になってきた「変わりたい、変えていきたい」と渇望するみゆ。

そして、それと同時に、一日一日近づいてくるその日に「どうしよう」と躊躇してしまっている

もう一人のみゆがいるのです。

日に日に近づいてくる「変わる」事に、とても焦っているのかもしれません。

恐い、のかもしれません。

今までの「みゆ」がいなくなってしまうようで。

そうではないのだと必死で思い込むのだけれども、やはりなかなか消えません。

でもこの先は、自分の中の戦い。

どうか、お会いするその日、無事に御主人様の元にたどり着けますように。

ちゃんとお話することができて、

そして、ちゃんと一緒の時間を過ごすことが出来ますように。

今は、そう、祈るばかりです。

明日はもっと元気なみゆをお届けできますように。



      --------------------10/30---------------------



誰かがすぐ、近くにいる事が当たり前になってしまうと、

自分がとても弱い存在に思えるのは何故なのでしょう。

(もしかしたら、みゆだけなのかもしれないのですけれども)

一人で過ごす時間は、流れがとてもゆっくりで、普通の何倍にも感じられてしまう。

落ち着くことなどなくなり、ただ途方に暮れて時計を眺めているのです。

大好きな読書さえ、集中できない。

ああ、独りなんだなぁ、と思うと、空気さえ重くなり、息苦しくなってくるようです。

「人を愛する気持ちと、人を憎む気持ちは似ている」

何の本に書かれていた言葉だったでしょうか。

どちらもその人の事を一時も忘れることなど出来なくなるから。

それは強く強く、思うから。

そんなことが書いてあった気がします。

独りでいる辛さのあまり、思ったことがありました。

誰かが自分の事を一時も忘れられないくらい思い、ずっとずっと考えてくれるならば、

たとえそれが「憎しみ」の感情でも構わないのではないか。

誰でも良い、どんな思いでも構わない。

強く強く、思って。

そして、傍にいて。

あのころのみゆはとても人に飢えていたのでしょう。

とても遠い昔の事のようにさえ、感じます。

いつでもみゆの傍についていて下さると、そうみゆにお言葉を下さったあの時から、

自分自身少しづつ強くなった気がするのは未だ、みゆの思い違いなのでしょうか。

相変わらず、涙腺は緩いのだけれど、涙をこぼす事も前と比べれば、随分と少なくなりました。

独りで街もあちこち歩き回れるようになったし、

辛くてご飯が喉を通らないといった事も少しづつ克服出来てきています。

そして、今日はこうやって独りの時間をただ、

ご主人様の事をあれこれと考えながら過ごす事を「楽しい」と思っているみゆがいます。

みゆは変わりつつありますよね、御主人様?

このPCの、そしてメールの向こう側には、御主人様がいらっしゃる。

今日の御主人様のご機嫌は如何でしょうか?

怒っていらっしゃる?

微笑んでいらっしゃる?

今頃はビールを片手にくつろいでいらっしゃるのでしょうか?

もしかしたら、もう、お休みになっていらっしゃるのかもしれませんね。

みゆはあまりにも言葉が少なすぎて、考えても考えても、

なかなか良い言葉が思い浮かびませんでした。

まだまだ勉強を要します。

もう使い古された言葉になってしまうのでしょうけれど・・・

御主人様有り難うございます。

みゆは一歩一歩、御主人様の後ろを着いて行きます。


        ------------------10/31--------------------


男の人に抱かれるという事が「快感」であると、雑誌などにその手の内容の特集が組まれ、

それを目にしてしまう度、とても胸が痛んだものでした。

一体、どこのあたりを「快感」というのだろう?

実際に男の人の腕の中にいる時に、本当に感じられる感覚なのだろうか?

分からないのはみゆ独りだけ?

何度ため息をついたことでしょうか。

身体の反応が少し鈍い、と言われたことがありました。

重い身体がみゆに圧し掛かる度に

「ねえ、気持ち良い?」

「本当に、感じてる?」

耳元で熱い吐息と共にこんな言葉が繰り返されるたびに「・・・大丈夫」と、

そう言い返しながら心の中で思っていました。

どうしよう、どうしよう、また駄目だ、と。

勿論、ある程度身体をまさぐられ、あちこちに唇が這えば、冷えた身体だろうとだんだんと気分は高ぶり、

内側からジンジンと痺れにも似た感覚は湧きあがっては来るのです。

身体が押し開かれ、相手の身体が入り、充血した粘膜を刺激されればある程度の興奮状態にもちゃんとなるのです。

でも、それだけでした。

それ以上の感覚にはどうしても達することが出来ない。

始めはそれでも許してもらえたのです。

「まだ慣れていないから、仕方ないよね」

「いずれ分かるようになってくるから」

「大丈夫だよ、きっと・・・」

しかし、回数を追うごとに時間と激しさを増す愛撫に対してもそれが変わらなかった時、

それは「まだ・・・駄目なの?」と、そんな言葉に変わってしまいました。

初めて「達する演技」をしたのはその夜のことでした。

眠りにつく直前、優しく頭を撫でてくれて「今日はいっぱい感じてくれたようで嬉しかった」

そう言われた時に思ったのです。

いつか、本当に達することが出来るようになるまで、みゆはこれを演じ続けてしまおう、と。

こうしていれば感じない身体だなんて言われない。

不感症だなんて思われない。

ずっとずっと愛されるみゆでいられる。

それからは「達する演技」をする事はみゆの中では「当たり前の事」になって行きました。

正直に言ってしまえば、SEXはとても苦手です。

感じなくてはいけない、普通は感じる物なのだから。

最後には達するのが普通で、そうでなくてはおかしいのだと、いつもそんな事を考えてしまうから。

とても寂しいことだけれど、自分の身体がおかしいのだと突き付けられてしまうから。

自分から求めたことは殆どと言って良いぐらい、ありません。

婚約中にどうしても興味があって、一度だけのつもりで受けた「調教」もそれは変わらなかったのです。

「SEX自体には興味はないから、純粋にSMがしたいんだ」

そう言ったその方は本当にただの一度もみゆを抱くことは無かったのだけれど、

別な方法で「達する」事を強要されました。

今、思えばそれは「SEXで達する」事よりも難しく思えることでした。

「いくことが出来なければお仕置き」

いろんな事を試され、腫れた身体を半ば呆けていたように眺めていたみゆは

その言葉にあっという間に現実に引き戻されてしまいました。

みゆの想像を超えるおぞましいとも言えるその「お仕置き」の内容に

「何がなんでも絶対に演じきらなくてはならない」とさえ思いました。

もう既に「なんでこんな事までしなくてはならないのだろう」というより、

こうする事は「義務なのだ」とさえ感じました。

「こうしていれば、誰にも絶対に傷つけられない。これでいいんだ。」

それが分かったのはその時からだった気がします。

だから御主人様との初めてのお電話なのにも関わらず「少しこれから電話で調教するから」

とお聞きしたときにはみゆはすごく戸惑いました。

お電話でのお返事もあがってしまって満足に答えられない状況だったのです。

それなのに、お電話で調教・・・。

手が、足が、震えました。

暫くお返事が出来なかったみゆでしたが、色々と御命令し始めた御主人様のお声には逆らうことなど出来ず、

みゆは指示された通りの事をしてしまいました。

下着を脱ぎ、ワンピースを捲り上げて。

足を広げて。

耳元には甘く甘く響く御主人様のお声。

すぐ近くには御主人様がいらっしゃって、ただ、じっとみゆのあられもない格好を見つめて下さっている。

ちからが徐々に、抜けて行きました。

普段では考えられないし、考えると顔から火が出るくらい、

軽蔑されてしまいそうなくらい恥かしい事をしているのに、

もう自分自身、何がなんだか分からなくなってしまっておりました。

声が止めど無く溢れてしまい、じっとなどしていられない。

死にそうなくらいの恥ずかしさと、同時にみゆはあの時、御主人様を求めておりました。

もっと、もっと、もっと、お願いします、御主人様。

みゆのあそこだけが火のついたような熱さ、

全身が粟立つぐらいの身体の奥の奥のほうから沸きあがってくる疼き。

手足にはピリピリと鳥肌が立ってしまっているのが分かりました。

片手には携帯電話。

もう片手ではワンピースをもっと見てくださいと言わんばかりに胸の辺りまで捲り上げ、

グッと握り締めていたのです。

そして身体を突き抜けるような、辛いとさえ思ったあの感覚。

その瞬間、確かにみゆの身体は深くて真っ暗な闇の中に投げ出されて、何処かに落ちて行きました。

一秒、二秒・・・それまで御主人様に繋がっていた携帯の回線の切れた音でみゆはふと、我に返りました。

御主人様、申し訳ありません。

あの時、訳が分からなくなってしまって恐らく携帯をぐっと握り締めた時に電源を切ってしまったみたいです。

犯人はみゆでした。

今だ興奮冷めやらぬ疼く身体で、お掛け直したお電話で御主人様には「シンプルな答えだな」と

言われてしまいましたが、あの時はあれしか思い浮かばなかったのです。

「気持ち良かった」

みゆが初めて感じた「達する」事に対しての感想です。

あんなに強く気持ち良さを感じた事、生まれて初めてだったのですもの。

自分の身体の何処にも触れずに、あんな感覚が味わえるなんて。

みゆはみゆで無くなってしまったかのようでした。

あの夜から考えたのです。

みゆは普通に感じることが出来て、達することが出来る身体なのかもしれない。

ずっとずっと女性としては未熟で、失格なのかもと思っていたけれど、

本当は他の人と何ら変わりの無い、同じ身体なのかもしれない。

おかしくはないんだな。

大丈夫なのだな。

そんなことを思ったら、涙がこぼれました。

今でも、あの時の御主人様のお声、お言葉を思い出す度に、

あの感覚が蘇ってくるようで肌が恐ろしいぐらいに粟立ちます。

実際にお会いしたらみゆはどうなってしまうのだろうと、本当に全てを曝け出してしまうのだろうかと、

それを思うと戸惑いや恐ろしさと同時に、

身体が内側から潤んでトロトロに溶けていってしまいそうな気さえするのです。

でも、それでも、

御主人様にみゆの全てをお任せします。

そういったみゆの決心はけっして間違ってはいなかったと改めて感じています。

有難うございます、御主人様。

みゆは少しづつ変わって行けそうです。


       --------------------11/1---------------------


昨日、クローゼットの整理をしていたら、奥のほうからなにやら小さな箱が出てきたのです。

みゆのシャツやらセーターやらが仕舞ってあったケースの隙間から出てきたので、

きっとみゆのものには違いないのでしょうけれども。

その時はそれが何なのか、全く思い出せませんでした。

包み紙は剥がしてあるものの、赤いリボンがかけてありました。

手にとって振って見ると、ガシャガシャと音をたてました。

「ああ、これはきっと・・・アレだ・・・」と、やっとその時になり思い出しました。

購入したのはたしか、3年ぐらい前でした。

実家の近くにあるデパートに友人と2人で買い物に来ていた時、アクセサリーコーナーで偶然、目にしたのです。

一目で気に入ってしまいました。

銀色のチョーカーです。

細い細い糸を編み込んだようなデザインで、ライトに照らされ鈍い光を放っていました。

何よりも惹かれたのは、その留め金。

ベルトのように自分で金具を穴に通して止めるのです。

試しにつけさせてもらい、鏡を覗き込もうとしたときでした。

「それってまるで動物の首輪みたい。・・・変だよ」

後ろから友人に声を掛けられました。

そんなことないもん。

そう答えながらも、心の内を見透かされてしまったかのようで胸の鼓動がはっきりと早くなるのを感じていました。

その後、一度は売り場を離れたものの、みゆは既にそのチョーカーのことで頭がいっぱい。

「一点ものなんですよ」

そう言った売り場の店員さんの言葉がみゆをますます駆り立てました。

結局、友人が洋服の試着に試着室に消えているうちに「お化粧直しにいってくるから」と

アクセサリーコーナーに戻り、こっそり購入してきました。

さっきは良くお似合いでしたよと、話しかけてくる店員のお姉さんの言葉に恥かしくなったみゆはつい、

こう答えていました、

「人にあげたいので、プレゼント用にお願いしたいのですが・・・」

家に誰もいない事を確認し、リボンを解き、包みを開け、鏡の前でそれをつけたみゆ。

その途端、友人の言葉を思い出しました。

「まるで首輪みたい」

そう、それが気に入ったの。

チョーカーだなんて最初から思っていないもの。

これはみゆの首輪なんだもの。

そのつもりで買ったんだもの。

鏡の中のみゆがそう言っていました。

この首輪をつけて外を出歩けたら、どんなに良いだろう。

どんなに素敵だろう。

鏡の前で何度も考えました。

そして、そんなことを考える自分がとても恐ろしかった。

一度、やってしまったら後は歯止めが利かなくなる。

それだけは絶対に避けたい。

そう気付いたみゆは、そのまま共に購入した同じデザインの腕時計と一緒に箱に戻し、

リボンをかけ、誰にも見つからないようにと仕舞い込んだのです。

そしてそのうち、仕舞い込んだ場所さえも忘れてしまっていたのです。

箱を空けて見ると、それらは仕舞い込んだあの時のまま。

時計のつまみを押して見ると、再び時を刻み始めした。

鏡の前に立ち、久しぶりにつけてみると、首に巻き付いたそれはまるで何かの印のようにも見えました。

細く、ひんやりと冷たい、みゆの首輪。

とても、怖かった首輪。

でも、もう大丈夫。

もう怖く、ない。

あの頃より確実に「これはみゆに良く似合う」そう思えるようになった自分がいます。

いつの日かもっと太くて、もっとしっかりとした本当の首輪を御主人様から頂くことが出来るまで、

これがみゆの首輪です。

お会いする日には、これをつけていきたいと思っております。

今よりも輪を掛けてドキドキしてしまうでしょうか?

もしかしたら、他の人から見れば決して似合っているとは思えない物なのかも知れません。

しかし、今はそれでも良いとさえ、思うのです。

だって、少なくともみゆは「似合っている」と自信を持って言えるのですもの。

でも、出来ることならば、御主人様にだけは「みゆ、良く似合う」と、そう言って頂けますように・・・。

小箱からアクセサリーケースに移された首輪は、今はじっと出番のその日を待っています。


      --------------------11/2---------------------



午後になったら、雲の切れ目から青い空が覗いて、久しぶりに日の光が部屋の中に差し込みました。

外に出ると、空気はひやりとするものの、白い光は相変わらず暖かくて、何だか嬉しくなりました。

アイビーやパキラ、小さなサボテンにも久しぶりの太陽の光を浴びさせてやりたくて

ベランダに並べてしまいました。

ふと、気がついたのです。

アイビーの緑の葉が、片側に寄っている事に。

斜め上のほうに葉を伸ばしているのです。

驚きました。

実は曇りで日が当たらなくてもせめて暖かい所においてやろうと、

この数日間ずっと窓際に置いておいたのですが、

そこはまんべんなく外の明るさが届く所ではなかったのです。

ほんのちょっとでも、カーテンの間から覗く外の明かりを求めようと、

窓に向って葉先をのばしていたのですね。

反対側の下のほうの葉の中には黄色みがかかってしまい、縮んでしまったものもありました。

でも、そんな中でさえ、よく目を凝らして見ると、つるの先から小さな小さな黄緑の葉がでているのです。

なんだか植木鉢に根をはり、蔓を伸ばしている一つの植物というよりは、

それらの葉の一枚一枚に命が宿っているよう。

これから果てようとしているものと、生まれたばかりのものと。

これらが共存している事。

良く考えれば、不思議な事です。

小さくても、そこにはかれらの一つの世界があるのですね。

一生懸命生きようとしているものに可哀相な事ををしてしまった、と反省です。

明日からは気をつけてあげなくては。

窓の外には鮮やかな金の月。

すぐ横には明るい銀の輝きを放つ星。

どうか明日も晴れ渡った空が見えますように。


       -------------------11/6---------------------


(割愛)

さんまはとても脂がのっていて、焼き網の上で何度も火がつきました。

恐かったです。


       --------------------11/8----------------------



人間には何故、喜・怒・哀・楽があるのだろうと、子供の頃からよく考えていました。

喜と楽だけではどうして成り立たなかったのだろう。

そうすれば、もっと私は楽に生きられたのに。

そう考えたのです。

もっともそうなってしまったら「人間」という存在では無くなってしまうのではないか、

とも思ったのですが、それでも良かったなとその時は考えていたのです。

何かを失って、悲しいと思うこと。

いじめられて、辛いと思うこと。

一人になって寂しいと思うこと。

誰かをいつか見返してやると思う憎しみの心。

こんなことばかりに囲まれていた為か、ギスギスとしたその感情を持つことにそのうち慣れてしまい、

それが当たり前のことになってしまったら・・・

そう思うと自分がとても恐かった。

一生、楽しいことだけを考えて、死ぬまで笑って暮らせたらと、よく空を見上げておりました。

あの頃は本当に誰も教えてはくれなかったけれど、

子供の頃に分からなかった事のほとんどはこうやって大人になったら自然に分かってくる物なのですね。

誰かに、そして時に自分自身にさえ向けられる怒りの感情も、悲しむ事でさえ、

今、そしてこれからを生きて行くためには必要な事。

怒りの感情や悲しみの感情が乏しければ、喜び、楽しみなどの気持ちは

取るに足らない物になってしまうのかもしれない。

その反対も言えるのでしょうけれど。

まるで光と影のようです。

今までのそのほとんどが悲しさと辛さの為だけに流していたように感じられる涙も、

今は、喜び、そして楽しさなどでも流れてゆくようになりました。

今日はとても楽しい一時を過ごせた。

こんな素晴らしい方々と過ごせてみゆはとても幸せ。

そんな事を考えると自然にでてしまう涙や、

いつも近くについていて、みゆを支えて下さっている御主人様を考えると、

いつのまにか流れ落ちる感謝の涙。

小さな頃から涙腺がとても緩くて、そのまま大人になってしまったみゆは、

その事がとても嫌で嫌でたまらなかったけれど、

今は、こんなことで泣くことができるみゆが、自分自身、ちょっぴり好きになりました。

願わくば、この気持ちをいつまでも、持ち続けていられますように。

これからもみゆらしいみゆで生きて行けますように。

今はそう、祈るばかりです。



ご主人様へ

みゆ


       ---------------------11/9---------------------


今日は○○で待ち合わせをして、無事、お二方にお会いしてきました。

あいこさんはとても素敵な方で、緊張したみゆに沢山、話しかけて下さったし、笑わせて下さったりもしました。

とってもキュートな方でした。

涼子さんは想像通り、とっても魅力溢れる方でした。

あんまりお綺麗でみゆはうっとりしてしまいました(笑)。

とっても優しくて、本当のお姉さんみたい。

御主人様のお話も沢山、沢山お聞きしましたよ。

(お会いする時の準備などもお聞きしました)

帰りは涼子さんと二人、お話ししながら帰ってきたのです。

いろんなお話をお聞きしましたし、みゆもいろんなことをお話ししました。

緊張もしたけれど、とても楽しい時間を過ごすことができました。

それを引きずってしまって、興奮しているのでしょう。

今夜は眠れそうにありません。

あんなにだんな様以外の人とお話ししたのは久しぶり。

そんなことを思うと、嬉しくて涙がでてくるほどです。

本当に素敵な一時でした。

いろんな事があったので未だ頭の中がパニックなのですけれども、

御主人様にちょっぴりだけでもご報告と思ってお送りしました。

大阪はまだ雨でしょうか?

こっちは土砂降りです。

まるでみゆが雨雲も一緒につれて帰ってきてしまったよう。



それでは、お休みなさい御主人様。

また明日です。