需要と供給
以前届いたある女性からのとても長いメール。
かいつまんで話せば、厳格な家に育ち、性的に淡泊な男性と結婚し、女を全く楽しむことができていないとあった。
このまま老いていくのではあまりにやるせないと言う。
そんな彼女の夢は、男性の性器を口に含むこと。
今の時代フェラチオなどさして特別な行為とも言えないが、それは彼女にとってとてつもなくはしたない行為。
当日、俺は大の字でベットに寝転がるだけで良かった。
そうしてペニスを自由にさせてやった。
俺が楽しんだのは粘膜の触れ合いではなく、彼女の表情だ。
最初は戸惑い、そして途中からは幸せそうにフェラチオを楽しんでいた彼女の表情を俺は忘れない。
俺は未だ彼女にハードなことは何一つしていない。
しかし、彼女は最大限に満足している。
今ではフェラチオするだけで達するようになった。
口中に熱い精子を放出してやれば何度も痙攣する。
高度な責めができるからといって自慢してはいけない。
経験が少ないからといって卑下する必要もない。
大切なのはお互いの需要と供給が一致すること。
更に話を続ける。
彼女の中に魅力的なMの資質が秘められているのはもはや疑う余地のない事実だが、おそらくは彼女のお気に入りになるであろう縄さえ未だかけていない。
フェラチオと自らが腰を振る騎上位の激しいセックスで満足しているのなら、当面はそれ以上進まなくてもいいというのが俺の考えだ。
この世界、進むのは簡単だが、戻るには困難を極める。
よって、彼女が積極的にそれを望まない以上、俺の好奇心のみをもって無理矢理に需要を作り出すことは遠慮している。
自慢すべきことでもないが俺にはそれだけの余裕があり、また、それだけの理性を持ち合わせているつもりだ。
望まない限り、そこに無理矢理需要を作らない。
本能と欲望が激しく交差するこのサイトだが、実は理性という裏付けに支えられている。
俺の調教は釣り鐘の如し。
小さく打てば小さく響き、大きく打てば大きく響く。
SMとはサディズム・マゾヒズムの略だが、その頭文字をもじって「SMとはサービスのSと満足のMである」と、したり顔であちこち聞いたり読んだりする。
しかし、俺ならこう主張する、「SMとは、satisfactionのSとmanzokuのM」であると。
つまり、二方良しの両者満足。
それこそが需要と供給の一致であり、つまりは需要と需要の一致でもある。
縛りたい男と縛られたい女がいるからSMが成立する。
それは安定した二人に見られる共通の空気であり、SMの基本中の基本だ。
shadow
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