理解されるということ
こうして長いことサイトをやっているといろいろ奇妙なことが起こってくる。
そのうちの一つ、例えば調教を希望されて会ってみると、その女性の方が余程俺の過去ことを知っている、という状況にしばしば出くわす。
というのも、俺の調教を希望する女性の中には過去の雑記を隅から隅までしっかりと読んでから会いに来る人が少なからずいて、
「shadow様、前にこんなことありましたよね」などと俺が体験したことを話してくれたりする。
一方俺の方はといえば、雑記の内容など書いた先から忘れていて、
「そういえば、そんなことがあったな」
「そういえば、そんなことを考えていたな」
「笑える話だ、今度使おう」
などと、他人から俺自身忘れてしまった過去の出来事を詳しく教えられる。
すると徐々に、「こいつ、俺よりも俺のことをよく知っているではないか!」といった感覚に陥る。
初対面であるのに、長年の友人でもあるような、それは、とても不思議な瞬間だ。
そしてその時、俺は人から理解されることのありがたさを知る。
書き溜めた雑記は最晩年に数冊だけ自費出版して、死を悟ったらじっくりと読むつもり。
もしいれば、子供にも渡したい。
おまえの父はこんな男だったのだ、と教えてやろうと思う。
俺の全生涯というわけにはいかないが、これだけ書き続けたので、俺の人となりを知るには十分だろう。
中には教育上宜しくない発言もあるが、そっくりそのまま知ればいい。
注:俺と会う場合は予め隅から隅まで雑記を読め、という意味で書いたわけではない。
ただの事実の供述だ。
shadow
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