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昨日、WEBで知り合った人妻のM女さんからメールが届いた。

かおるがかなり前に出したメールのお返事で、それは最近「奴隷」という言葉にいささかギモンを

感じているかおるには季節はずれの掘り炬燵のような感じがしないでもなかったが、

彼女なりにかおるとご主人様の関係を考えてくれているのだった。

彼女は「奴隷」というよりも「ペット」であるらしい。

彼女のご主人様は「ペットを飼うにも責任がある」というポリシーのもと、彼女を飼育している。

そして(婚姻生活をしている本来の意味の)ご主人様との結婚生活は円満でシアワセでありながら、

(飼い主であるところのSの)ご主人様との愛もホンモノなのだという。

かおるには理解できない。

彼女のご主人様は彼女以外にもペットを飼育している。

「そんなのイヤなのが当たりまえ。でも、イヤだって言ったり、悲しんだり苦しんだりすることも

含めてなにもかもさらけ出しています。ご主人様に遠慮したり、がまんしたりする必要がなぜある

のか、わかりません。すべてをわかってかわいがってくださるのがご主人様でしょう?」

かおるは今日、幻冬舎から出版されている「秘密 人妻と風俗嬢、ふたつの顔を持つ女たち」

という本を買った。

著者の酒井あゆみさんは29歳。

風俗嬢としてのキャリアが豊富らしい。

その風俗経験がある著者が17人の人妻風俗嬢にインタビューしたもので、風俗といっても

性感、本番、ヘルス、ソープ、SMクラブなど、いろいろである。

そして、30分もあれば斜め読みできてしまうこのルポルタージュは、

「人妻」という家庭人が諸事情によって身体を売り物にする仕事に従事しつつも

それをエンジョイしているという、あまりにも想像の範囲からはみ出ない、

あっけらかんとした女性の「性」を読むことができる。

多くの人妻風俗嬢は、なんらかの理由でお金が必要となり風俗に従事する。

亭主公認の人もいれば、「亭主には秘密にするのが愛情の証」という人もいる。

「亭主のキスは唾液まで飲むけれど、お客のキスは唾はティッシュで拭う」という人もいるし、

「初めて女として扱われた思いがした」という人もいる。

それぞれがいろいろな考え方をしながらも、「後悔」をしている人はひとりもおらず、

そうした「いさぎよさ」のようなものや「セックス狂」的なところに、

元風俗嬢という同業経験がありながらも著者はあきれたり、驚いたりする。

風俗というのは金銭を得るための職業のひとつなのだから、趣味のSMとは違うかもしれない。

「お金のため」という大義名分のために、女性ならではの肉体労働に従事する。

それもまた「職業選択の自由」だ。

でも、お金のためじゃなくて見知らぬ男性に身体を提供し、奉仕する女が増えているのはなぜなんだろう。

家庭では貞淑な妻を演じ、外では奔放なセックスをするのが主婦たちに対して、

恋人には常識的なオンナで接して、

それ以外のオトコたちとはなにもかもさらけだしてもかまわないという未婚の女たち。

なんで女性たちはそんなにセックスが好きになったんだろう。

どうしてひとりのオトコでは満足できないんだろう。

亭主やカレシたちもまた、恋人や愛人や奴隷とつきあっているのだろうか。

こんな本を読んだだけでは疑問は解決するわけはない。

さきのメル友(?)は書く。

「女にはいろいろな顔があるから、ふつうの生活とペットの生活の両方があって、

私というバランスがとれるんです」

「奴隷の方たちはふつう調教を『プレイ』として割りきっているんじゃないんですか? 

それでいいじゃないですか? なぜいけないんですか?」

かおるは、ずっとずっと前にご主人様が書いていらしたことを思い出した。

暮れに、SMが趣味のご夫婦が、ホテルのスウィートルームでパーティーをやったという話だ。

招かれた人々はそれぞれ躾の行き届いた愛奴を連れていたのに…

というようなことを書かれていたのだと記憶する。

かおるはそのとき「夫婦でSMする」人たちのことを考えた。

「夫婦ならではのSM」っていうのはかえって淫靡な感じがしていいな、と思った。

かおるはご主人様のことを愛している。

ご主人様が望む女性になれたらいいな、と思う。

でも、それがどんな愛の形なのか、自分でもよくわからない。

わからないままで盲信すればいいのかもしれないけれど、わかろうとしてしまう。

それがかおるだ。