31日

墓参りに行った。

と言っても以前から予定していた訳ではなくて、昼過ぎに天王寺で仕事から開放され自由の身になったので、ちょっと散歩がてら一心寺までご先祖様に手を合わせに行ったのだ。

月曜なので寺は閑散としていたが、寂しいと言うよりはかえって厳粛な感じがして、歩くたびに響く玉砂利の音も心地好かった。

本堂を見上げながら、こんな時にけちってはバチが当たると、財布から五百円玉をつまんで賽銭箱に放り込んだ。

手を合わせてお祈りしていると、今日こそはあの店に立ち寄ってみようとふと思い立つ。

俺は今までの人生において本当にしなければならないことを、ことごとく先送りにしてきた。

忙しい、機会がないと言い訳したところで、結局困るのは自分自身であり、やらなければならないと分かっているのなら早期に片付けてしまうべきなのだ。

糧を得るための仕事には莫大な時間を投資しているというのに、人間としての仕事には殆ど投資していない。

そんな俺が未だに手を付けていない仕事の一つに「先祖の話を聞く」というのがある。

こう書くと大げさになるが、俺が知りたいのは例えば今は亡きおじいちゃんは幼い頃はどういう子供で、何が得意で、いつもどんなこと をしていたのか...などといった他人にとってはどうでもいいような普通の事だ。

俺自身それらについて興味があるし、何より子孫に語り継いでやりたい。

ところがだ、今の俺は先祖のことを語れと言われれば五分ともたない程に何も知らない。

聞くあてはいくらかあるのだが、それ以前に最良の情報提供者たる両親からも面と向かっては未だに聞いていない。

ただ、断片的なエピソードが何かの会話の拍子にぽつりぽつりと出てくるだけだ。

両親に一席設けて「今日は先祖のことについて色々と教えて欲しい」と単刀直入に言えば事足りるが、俺もまだまだ子供なのかそれが照れ臭くてできないでいる。

そんな中、俺が知り得た数少ないエピソードの一つに「大黒屋のびっくりぜんざい」がある。

○○家(俺の名字)ゆかりのものにとっては、涙無くして聞くことのできない話である。

俺は○○家の血を引く者として、その大黒屋においてびっくりぜんざいを一度食べてみたい、いや、食べなければならないとかなり以前から思っていた。

幾度となく店の前は通り掛かったが、たいていは横に誰かがいて、いちいち説明するのが面倒臭くもあり照れ臭くもあったので、「今度来た時は必ず食うぞ!!」と心中静かに 誓いながらいつも素通りしてきた。

その大黒屋は新世界のど真ん中にあり、一心寺からはそう遠くない距離にある。

「よし、今日こそは食うぞ!!」

最後にもう一度手を合わせて踵を返すと、お祈りの最中に餌を求めて俺の回りに集まっていた鳩が一斉に飛び立った。

新世界には十分も歩けば着いたが、近づくにつれ大黒屋が閉まっているのが分かった。

「あちゃちゃ、せっかく来たのに俺も運が悪いな」

しかし、店の前まで行くと事態は更に深刻だった。

店は休みではなく、畳まれていたのだ。

なんということ。

あれは去年の十一月だったか、前回来た時はちゃんと営業していたのに。

これでまた古き良き時代の店が一軒減ってしまった...

同時に俺はびっくりぜんざいを口にする機会を永久に失ってしまった。

これは悲しいというよりも怒りだ。

何に怒っているのかはよく分からないが、やはり自分へだろうか。

しかし、怒りはそれだけではなかった。

その後、俺は肩を落としながらもジャンジャン横丁へ足を向けた。

そこで見たものは....もう馬鹿らしくて書く気もしないが、これで止めてはここまで私的な文章に付き合ってくれた人に申し訳ないので今しばらく進めると、何とジャンジャン横丁に は心斎橋筋商店街も真っ青の最新式アーケードが備えられており、ご丁寧にもガラス張りの天井からさんさんと降り注ぐ太陽光が通路を照らす設計だ。

「それって、いいんじゃないの?」

そう思う人も多いだろう。

確かに普通ならそうだ。けれど、あの通りにあってはそれはどう例えればいいのか....

背中の曲がった八十過ぎのお婆さんにミニスカートのボディコンを無理矢理着せるようなもので、とにかくあってはならないことなのだ。

俺は恐る恐る奥まで歩を進めてみた。

でも、これはもうじゃんじゃん横丁じゃないな。

軒先から囲碁の勝負を眺める人々の光景がかろうじて昔の面影を残してはいるものの、その通りは「横丁」という響きがどこか白けて聞こえる程に様変わりしていた。

あえて言うならじゃんじゃんストリートか。

痛々しい工事の仕切りと降り注ぐ太陽。

今度の怒りは大阪府に向けるべきか。

しかし、怒りはこれで終わらなかった。

既にダブルパンチを喰らった俺に今度は延髄蹴りが飛んできた。

返り道、通天閣の下まで来ると俺は毎度の習慣で振り向いた。

何故ここで振り向くかと言うと「マッサージ末広の看板」を見るためだ。

新世界のランドマークは通天閣というイメージが一 般的だろうが、俺にとっては「マッサージ末広の看板」こそが新世界のランドマークなのだ。

この看板、やたらとマスコミに取り上げられていたのでひょっとしたら大阪外でもご存じの方がいるのではないかな。

とにかく新世界アートの最高傑作で、そのインパクトたるやすさまじい。

いないとは思うが「どんなのか気になって眠れない!!」という方はWOWの1だったか2に掲載されている。

ところがだ、今日いつものように振り向いたらそこにあるべき筈の看板が消えていた。

不況の煽りを受けたんだろうか?

看板のあった壁の部分がそこだけ白く浮き出ている。

あの看板はどこに行ったのだろうか?

不燃ゴミでぽいならあまりに勿体無い。

新世界のどこか片隅で飾っておくわけにはいかなかったのか。

大黒屋といいじゃんじゃん横丁といい「マッサージ末広の看板」といい、終わったな、新世界も....


今日は書き過ぎてしまった。

ちょっとセンチになったのだろうか。

酒場で友人に愚痴をこぼすように、俺は皆に愚痴ってしまったのかもしれない。

けれども、愚痴るということは弱い自分を晒け出すということでもあり、突き詰めればSMもお互いを晒け出すということだ。

だから誰に遠慮なんか要るものか。

長文多謝


27日

俺には長谷川という知り合いが三人いるが、彼らには三人が三人とも「ハセ」というあだ名が付けられている。

余程個性的でない限り長谷川には「ハセ」というあだ名が自動的に付くようで、これは気の毒というべきか。

皆さんの回りはどうか?

そういえば、クラスで一番デカいやつもほぼ自動的に「ジャンボ」だったな。

それにしても今時の女子小中高生はクラスメートや同級生の男子のことを呼び捨てにするようだ。

俺の時代には「・・クン」と、ちゃんとクン付けで呼んでたのだがな。

最も、当時から男子は女子のことをずっと呼び捨てにしていたわけで、お互い様と言えばそれまでだが、呼び捨てにされてそれでも笑顔で話をしている男子学生を見ると張り倒してやりたい気分になる。

「女子はいつから男子を呼び捨てにするようになったのか?」という小論文でも書けば、子ギャルのルーツが解明できることだろう。

そんな中にあって律義に「・・クン」と呼んでいる女性を見かけると「もしやマゾでは!?」と思ってしまうのは少々考え過ぎだろうか?


25日

久しぶりに「脚の綺麗なオカマ」を見た。

初めて彼を眼にしたのは二年程前のことだ。

ミナミにある虹の街を歩いていたら、前方から脚の綺麗な女性がミニスカートで近づいてきた。

それは俺が見入った程にすらりと伸びていた。

しかし、近づくにつれそれがオカマだと分かったときは随分とショックを受けたものだ。

顔は完全に男なので下半身とのギャップが凄まじい。

すれ違った後もしばらく振り向いてしまったが、それは何も俺だけではなかった。

その後も彼をミナミで何度か見掛けた。

本人もそのスレンダーな脚には自信があるのか、いつもミニスカートだ。

しかし本日、ついに彼をキタで発見した。

見間違うことなどあろうはずもない、紛れもなく彼だ。

「ついにキタに進出したのか!?」

それは地下の阪神百貨店前であり、その注目度は物凄かった。

家は見慣れているので、むしろ皆の反応を見ている方が面白かった。

そういえば昔、ミナミにまるでデビルマンのようなメークをした女性をしょっちゅう見かけたが、今ではちっとも見掛けない。

地下鉄御堂筋線でいつもビジネス鞄を下げていたスーパーマンも何処かに転勤してしまったのだろうか?

ハーレーにまたがった熟年ポリスの集 団もこの頃ではすっかり影を潜めてしまった。

171号線などで「ドッドッドッ」と腹に響くエンジン音を轟かせながら数十代連なって走る姿は圧巻だった。

そういう意味では、最近の熟年はパワーがあるのかないのかよく分からない。


23日

今朝雨降りの中、例によってマクドナルドに行った。

いつものホットケーキセットを食べていると、横の席に母親と幼い男の子が座った。

親子なんだろう。

俺はヘビースモーカーではないが、食後の一服は欠かさない。

俺の席は禁煙席ではなかったが、不器用にホットケーキを食べる可愛らしい男の子を見ていると、何だか辺りに煙を漂わせるのがはばかられた。

仕方がないので店外で一服つけて席に戻ると、その親子のテーブルの上に灰皿が置かれているのに気付いた。

もしかしてこの母親吸うのか?

そう思った途端、案の定ポケットから煙草を取り出しスパスパやり始めた。

いたいけな子供を前にしては他人の俺でさえはばかられるのに、この母親は一体どういう神経をしているのか。

少なくともここにお集まりのM女性の皆さんには、こういう母親にだけはなってほしくない。


20日

昨日の雑記を読まれた方からこんなメールを頂戴した。

「椎名林檎さんの歌というのはひょっとして「感性」ではなく「本能」の間違いではないでしょうか?」

そう、間違った。

よって訂正しておいた。

それにしても、こうやって直ぐに指摘してもらえるというのは実にありがたいことだ。


19日

椎名林檎の「本能」という歌を聞くと、彼女はマゾだろうかと思ってしまう。


18日

俺の通っているスポーツクラブにニューフェイスが来た。

若くて中々の男前であるが、彼が入会早々クラブで目立ってしまっているのはそのルックスとはあまり関係ない。

彼がバーベルを持ち上げる時の掛け声がすさまじいのだ。

「トリャーーっっ!!キエエーーっっ!!うおりゃーーっっ!!ぐはーーっっ!!」

バーベルを下ろしたら下ろしたで、「プハーっっ!!フーっっ!!くわー!!」

はっきり言って俺は笑いを堪えるのにかなり苦労させられる。

それは皆も同じだ。

彼が必死にバーベルを持ち上げている時、俺たちは笑い声を出すまいと顔がひきつってしまっている。

そんな皆の顔を見ると更に可笑しくなる。

彼がバーベルを持ち上げている間、俺は力が入らずトレーニングどころではないのでエアロバイクに退避することになる。

最近、いつ行ってもそんな彼の姿を見掛ける。

おそらくほとんど毎日来ているのだろう。

迷惑だとは言わないが、入会早々異様に張り切っている人に限ってある日突然プッツリ来なくなることを俺は知っている。


17日

それは一瞬の出来事だった。睡眠中だった俺は激しい揺れと、TVやらラジカセやら食器やら鍋などがフローリングの床に叩き付けられる激しい音で瞬時にして夢から醒めた。

それでものんびり屋の俺は大雑把にそれらを片付けると再び布団に潜り込んだ。

しかし、眠れない。

眠れないのは、さっきの揺れに対する一抹の不安からではなく、単に忙しく行き来するパトカーや消防車のサイレンのせいだった。

俺は鳴り止まないサイレンに眠ることを諦めTVを点けた。

恥ずかしながら異変に気が付いたのはその時であり、友人を一人失ったと知ったのは更に二週間後のことだった。

早いものであれからちょうど五年の歳月が流れた。

不幸にして震災でお亡くなりになった方々のご冥福をあらためてお祈り申し上げます。


11日

これほどありがたみのない連休もなかった。

個人的にはちょっと迷惑とさえ言える。

先週に出勤して、さあ今年も頑張るかとせっかく正月気分が抜けたのに、また三連休だ。

せめて第三月曜にしてくれればよかったのに。

けれども正月気分が抜けたと言ったところで、年々正月らしさというものが薄れているのも確かだ。

正月って昔はこんなんじゃなかった。

何故だろうと考えたら、やはり一番に流通の変化というものが挙げられる。

幼い頃に何が楽しみだったかって、正月には店が全部閉まってしまうから、年末の買い出しに母親の後に付いていって正月五日分のお菓子を買い溜めするのがワクワクした。

普段は少ししか買ってもらえないのに、この日ばかりは遠足の前日より更に多くのお菓子を買える。

子供にとってこれほどエキサイティングなことはなかった。

食べるにしても「この三十円のお菓子を今日食べてしまうと後二日寂しいしなあ...」などと幼心にペース配分まで考えて食べたものだ。

ところが最近はどうだ。

コンビニのお陰で正月にお菓子不足に陥ることもなければ、おかず不足になることもない。

思うに正月らしさとは、要するに不便さであったような気がする。

店といえばおもちゃ屋以外は全部 閉まっていて、日常生活を営むには明らかに具合が悪かった。

それが一層正月らしさを演出していたのだ。

今ではコンビニを始め、本屋、ゲームセンター、ファーストフード、郊外レストラン、そしてダイエーなどの大手スーパーなども元旦から堂々店を開けている。

便利になったと言えば確かに便利になったけど、何か違うんじゃないかという気がしないでもない。

昔の不便さを知らない世代には、正月休みというのは既にただの連休なのかもしれない。


2日

2000年を迎えるにあたり、このサイトを通じて知り合いになった女性の方々から新年の挨拶を多数頂いた。

ありがたいことだ。

中には長文もあったが、俺の趣旨によりこれらは全て非公開とする。

それにしても早くジム開かないものか。

こんなに食べてばかりで、体を動かさないというのは実に気持ち悪い。


1日

皆さん、新年明けましておめでとうございます。

ついに来たな、2000年!

以前は、正確に言うと二十前後は、年の変わり目とかクリスマスを自室で一人過ごすなどということは到底考えられず、例えそれが無理矢理であれ誰かと会っていたりなにがしかのイベントに参加してたりしたけれども、年齢を重ねるごとに誰かと何かしなければいけないという脅迫概念めいたものも薄れ、家で紅白を観たりする機会も増えた。

しかし、今回は違った。

2000年1月1日午前0時には何か確かな思い出が欲しかった。

ちなみに私は親友(悪友)どもとキャンプを張ってきた。

山の頂上ということもあり、ウオッカを何杯飲んでも体が暖まらない程に寒かったが、他にも結構グループがいたのには驚いた。

NHKの歌合戦をラジオで聞きながら酒を飲み、鍋をつつき、かつ大いに語ってきた。

そしてカウントダウンの瞬間、「1、2、3...ダアアッーーー!!」。

男というのは1、2、3とくればどうしても「ダアアッーーー!!」と拳を上げて叫ばずにはいられない。

皆はどう過ごしましたのだろう?

愛する人と一緒にいた、クラブで踊り明かした、独りでTVを観た、あるいは既に寝ていた....

そこにはいろいろなドラマがあったことだろう。

何はともあれようこそ2000年。

今年は何をやっても思い出すにはキリのいい数字なので、せいぜい派手にいきたいものだ。


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