22日
今年もこうしてつつがなく年内の最終更新を迎えることができた。健康に感謝しつつ最後に一言。過去幾度も繰り返し書いてきたことだが、未だフォームからアドレスなしで相談メールを送ってくるケースが後を絶たない。再度言うが、フォームからの送信の場合、メールアドレスの記載がなければこちらから返信できないのだ。単に話を聞いてもらいたいだけなら問題ないが、深刻な長文での相談の最後に「お返事お待ちしております」などと書いてあると心が痛む。アドレスがわからないので返信のしようがないのだ。俺のせいではないと割り切れる程の軽い内容ならいいが、そうでない場合も少なくない。結果、先方にとってはせっかく相談を送ったのに無視されたということになるのだろう。恨まれている場合だってあるかもしれぬ。かといってフォームを削除すると雑記に対する感想や反論、独り言等は普通のメールではなかなか送りにくいだろうという理由でずっと残してある。来年こそは上記のようなメールが減ることを祈る。
17日
先日NHKで北大路魯山人(各分野で活躍するが、特に食と陶芸が有名)の番組を見ていたら、「人の最大の敵は見栄である」という言葉があった。全くその通りだと思う。実のところ、サイトを運営するというのは見栄との戦いでもある。人間誰しも自分のことを良く見せたいと思うのは当たり前のことで、特にそれがネットだと文章一つで何とでもなる。その戦いがこの雑記だ。つまり、日々感じたことを飾らずそのままバカ正直に書くということ。以前非難のメールが殺到した雑記もあるが、俺が思ったことを書いただけであり、それはそれで構わないと思っている。もしこのサイトにコラムしかなかったら俺はどれだけ過大評価されていたことか。けれども男はまだましな方で、経験上女性の方が全体的に見栄っ張りだな。SMサイトでも、とても幸せそうに見えるM女が実は不幸のどん底だったりするものだ。話戻って魯山人という人を今まであまり良く知らなかったのだが、どうやら尊敬すべき凄い人のようだ。今度ジュンク堂行ったら何冊か買ってみよう(過去執筆分)。
16日
明日あたり本屋に行けばテレビガイドの年末年始号が並んでいるだろうか?年に一回この時期にしか買わない雑誌だが、何かと忙しい師走のひととき、テレビガイドのページを繰りながら見てみたい番組にマーカーを付けていくのは実に楽しい時間だ。「プロ野球戦力外通告選手の妻たち」は今や年末恒例の番組となったが、いつも楽しみに見ている。年始のTV大阪12時間ドラマの主人公は誰だろう?紅白の裏番組はやはり格闘技かな?まあ、そうしてのほほんと過ごせるのも全て家族の健康のおかげだ。感謝。
15日
大阪名物551といえば豚まんかアイスキャンディーのイメージが強いが、俺のお薦めは肉団子の甘酢だ。551の豚まんを売っている店ならばどこの小さな店でも売っている。1パック250円なり。数えたことはないが肉団子が10個は入っていると思う。とても安い。おかずに良しビールのアテに良し弁当に入れても良しの重宝する一品だ。例のわっぱ弁当にレタスやザーサイと共に盛れば見た目も美しい中華弁当になる。俺はいつも阪急梅田駅で買っているが、気が付けば冷凍庫の常備品の一つになった。
11日
どうやら俺は今度始まる裁判員制度での候補者名簿には登録されなかったようだ。ニュースによれば確率1/300程度だそうで、宝くじに比べれば決して低い数値でもないが、とにかく我が家には届かなかった。選ばれたら選ばれたで手間な話だが、司法の現場に興味があるのも事実だ。「あなたは死刑を宣告できますか」等といった討論番組が近頃多いが、それ相当の罪であれば俺は何のためらいもなく宣告できる。先日の養女殺害事件で捕まった犯人が知的障害者だったようで、一部の有識者からは実名や顔を出している今報道には大いに疑問を感じる、といった発言が聞かれる。「けっ!!」と思う。ものの善悪が知性と何の関係があるというのか。言わば純粋な心であればより一層それは明確なはずだ。知的障害者にも一定の確率でワルはいる、それだけのことだ。それをひとまとめにして例の法律振りかざして責任能力などと保護するのは俺の心情が許さぬ。俺が陪審員なら死刑や無期懲役まではいかずとも懲役2,30年は当たり前で、罪に問えないなどということは到底あり得ない。
4日
俺はあまり感傷的にならぬ性分だが、どうもこの時期になると亡くした親友のことを思い出してならない。突然の事故であっけなく死んでしまったわけだが、彼が生きていれば俺の人生もっと賑やかになったのは間違いない。同い年で机を並べた仲だったので、やはり学生時代の親友というのは社会人になってから出来た親友よりも絆が深い。俺はかけがえのない財産を一つなくしてしまったのだとしみじみ思う。とはいえ、現在互いに認める親友が二人いるのは実にありがたい話で、なくしてしまった彼の分までこの二人は大切にしたいと思う。まあ、こんな話は二人には面と向かっては絶対にしないけどな。そんな一人が先日、生なり焼くなり好きにして食えと殻付きのカキを持ってきてくれた。味が身に染みる。
2日
我が家の外壁にはヤモリが生息している。ずっと以前から見かけているので最低つがいの二匹はいるのだろう、とは思っていた。先月、油性のマジックで庭先の花をスケッチしていたら壁にヤモリを発見したので、少々気の毒だがちょっと捕まえてその背中に1と書いてやった。後日、玄関横の壁にまたヤモリを見かけたが背番号がないので、今度はそれを捕まえて2と書いてやった。以来、見かけるのは背番号1と2とヤモリのみで、よって我が家には最低2匹のヤモリが住んでいるようだ。一体何代目なのだろう。調べたわけではないが、ヤモリとは家守とも書くのではないか?蜘同様絶対に殺す気にはなれぬ。昨今お洒落な家も増えてきたが、コンクリート打ちっ放しやハイテク素材でヤモリ一匹寄ってこないような家はつまらない。別にヤモリを自慢するわけではないが、築は古いながらも俺はヤモリやらカマキリがいる我が家が好きだな。
1日
「今日のおかず何?」俺が中学高校の頃、家に帰ると真っ先にこの質問をしたものだ。「ブリと大根の炊いたん」「かす汁」こんな答えが返ってくれば、それは間違いなくハズレの日だった。歳を重ねた今ではそれらはむしろ大当たりの日となり、何はさておき体の冷え切っている内に粕汁を一杯所望したいところだが、悲しいかな母既におらず、男二人の家庭において粕汁はなかなか食卓には上がらぬ。シチューなら俺も親父も時折作るので今も昔も好きだが、よくよく考えてみればガキの頃にはシチューなどを食った記憶がない。日々メザシ、たまに肉屋のコロッケ。これしか思い出せない。が、それも今となっては全く悪い思い出どころか心地良い。果たして金持ちの家に生まれた子供は幼少の食卓を思い出して俺のような穏やかな気持ちになれるのだろうか?少なくとも、どれだけご馳走が並ぼうがそれが母親の手製でなければ、美味い不味い以前の問題で記憶にも残らないだろう。
翌月の雑記へ