31日
桃屋の食べるラー油というものを一度食べてみたくて、近所のスーパーへ買い物に行くたびに瓶詰めが置いてある棚をCMを見て以来約半年チェックし続けているのだが、未だ一度も並んでいるのを見たことがない。こうなればますますその味が気になるのが人情だが、ヤフオクでは高値で取り引きされているとも聞くし、俺の口に入るのはまだまだ先のことか。自分で作れぬこともないらしいが、残念ながらのんびり料理を作る時間がない。
今夜のおかずは親父の作ったアジの南蛮漬けだ。昨日親父の友達が遊びに来ていたようで、それで一杯やったようだ。アジがやたらにでかいのが気になるが、手製の南蛮漬けを食べられるのはありがたい。ちなみに、タマネギは無農薬の自家栽培だ。スナップエンドウと同じく大量に採れる。俺がタマネギ料理で最もよく作るのは、風呂に入る前にスライスして冷水にさらしておく。上がったら水気を切って皿に盛り、真ん中に卵の黄身を落としてポン酢、さらにかつお節をかけて出来上がり。黄身をネチョネチョと絡めながら食べるのが美味しい。
28日
親父の話が出たついでに、もう一つ親父に感謝していることをここに書いておこう。だったら、口で言えよということだが、なかなかそうもいかぬ。もしも万一、親不孝にして俺が先に逝くようなことがあれば、この雑記だけは親父に読んでもらいたいと思っている。あんたの息子は日々こういうことを考えながら生きていたのだと伝えたい。将来、もし俺が子供を持つようなことがあれば、やはり俺の死後に読ませようと思う。おまえの親父はこういう人間であったと伝えたい。これだけ長く書き続けていると、つまらない内容の積み重ねではあるが、この雑記は俺の人生そのものでもある。そういう意味では、実際に俺の内面をここまで知っているのは親友ただ2人のみであり、それ以外に俺の本心をを知るのはネットの向こうにいる人々という面白い状況になっている。まあ、これが今のネット社会ということなのだろう。
で、話が逸れたが、もう一つの親父への感謝というのは、花だ。我が家の庭は狭いが、それでも角地で日当たりが良いので、ちょっとしたスペースに木や花々がたくさん咲いている。今や近所には3階建ての家々が立ち並び、昭和の風情を残した昔ながらの我が家はどこかタイムスリップしたかのような感さえあるが、花と木の豊かさだけは決して負けていない。これは親父の人柄そのものだ。いくら外観が立派であっても、そこに緑一つない家はとても冷たく寂しげに見えるし、住人の人柄さえも察しが付く。親父はそんな庭の花々を摘んでは屋内に飾っていて、我が家の玄関と仏壇、トイレは通年生花が絶えない。背中でもって無言で教えられる親の影響というのはとても大きなもので、俺もきっと将来畑を耕し、そして摘んだ花を家に飾るのだろうな。ちゅうか、そうなりたい。
24日
畑で採れるスナップエンドウが実にありがたいとは先週書いた通りだが、これが原因で親父と喧嘩が起こる。喧嘩といってもそう大したことではないし、いつも俺が譲るので言い争いにまでは発展しないが、やはり起こってしまえば気分のいいものではない。というのも、そのありがたさ故にしばしば俺がスナップエンドウを残すのだ。食えなくはないが、俺はそれをありがたく思っているので、無理矢理に食べてしまうのはとてももったいない。よって皿に4,5本残ったやつは勢いで食べてしまわず、翌日また美味しく食べたいのでラップして冷蔵庫に入れる。これを親父に言わせれば、畑にはいくらでもあるし、冷蔵庫の邪魔になるのであとそれくらいなら食べてしまえ、となる。どっちもどっちだと思うが、悪いのは俺の方であることは自分でもわかっている。というのも、「親父、いつも無農薬の新鮮な野菜をありがとう。とても感謝している」と、俺は一言も伝えてないのだ。言いたいのだが、照れくさくてとても言えやしない。男ならこの感覚はわかるはずだ。けど、早く伝えるべきだな。こう思いつつはや数年。はたして今年は言えるだろうか。
20日
冷凍庫をよく漁るとは先日書いたが、それでも俺は日々最高のご馳走を食べている。今ならスナップエンドウだ。今のこの時期、親父が間借りしている畑で採れたやつが毎日大量に食卓に上がる。湯でたのにマヨネーズを付けて食べるだけだが、美味いな。そう感じるのは味うんぬんもあるだろうが、こうして旬の野菜を届けてくれる親父への申し訳なさと感謝もある。申し訳なく思うのは最近俺が全く夕食を作っていないから。それでも食卓は豊かだ。家族が何の農薬も使わずに作った野菜、これ以上の贅沢なご馳走がこの世にあるとは思えない。毎夜口に運ぶスナップエンドウの1本1本がありがたく、他に板わさか納豆でもあれば楽しく飲める。
俺はアボカドが好きで、今年の春先ジュンク堂へ行ったときにアドカド料理専門のレシピ本を買ってみた。そこには結構簡単に栽培できるようなことが書いてあったので、種を2、3個畑の土に埋めてみたのだが、未だ目が出てこない。残念だ。もう少しだけ様子を見てだめなら、また第二弾を埋めてみようと思っている。
スナップエンドウが終わって初夏になる頃には、今度はゴーヤとプチトマトがよく採れる。両者共になかなか使い回しが難しいわけだが、昨年あまりにも大量のプチトマトが食べきれず、苦肉の策で茹でてチマチマ皮を剥いてトマトソースを作ったのだが、結果、これがとても良かった。第三者が食べればもっと美味しいソースはいくらでもあるだろうが、完全手製のソースなので俺にとっては正に感動ものだ。パスタにかけて食べたが、俺が今まで食べたどの店のパスタよりも美味しかった。幸い8月だけは少し時間に余裕ができるので、今年もぜひトマトソースを作りたいと思っている。
17日
遅蒔きながら、俺もようやくこの歳になって大阪名物である551豚まんの美味しさがわかるようになった。ここのとこ忙しくて夜11時を過ぎてからの夕食時にしばしば食材を探して冷凍庫を漁ることが多くなったのだが、我が家では伝統的に551豚まんの1つや2つがラップにくるまれて冷凍されている。よって、夜の食事が551豚まんという機会が増えて、そうこうしている内に「美味しいな」と思うようになった。今まで俺にとって豚まんといえば皮がフワフワの安物のやつで、高校の柔道部での青春の日々において部活の帰りによく食べたのが王将の中華丼、たこ焼き、そしてヤマザキの肉まんだ。当時はコンビニなどロクになかったので、ヤマザキのパン屋で売られている肉まん、カレーまん、中華まんを3個同時に買ってぺろっと食べたものだ。何個食ったかわからないくらい食べたが、そんなわけで豚まんの皮はフワフワであるという概念がすっかりインプットされてしまったのだろう。よって、551の豚まんを食べてもあまりに皮が厚いので「これは違う」といつも感じていたのだが、そんな呪縛が最近ようやく解かれたようだ。今更ながら美味しいな、551は。
13日
昨今の世相を反映しているとつくづく思うのが若者のトイレ掃除だ。一昔前までこの仕事はおばちゃんたちの独壇場だったが、ターミナル駅ではユニホームを着込んだ若い男女がトイレで働いているのをよく目にする。時給が他よりも割高であろうことはその業務内容からして察しが付くが、それでもある種の覚悟がなければなかなかできない仕事であり、もし俺が職に困ったとしてもやはり手を出さないだろう。働く上で最も大切なのは仕事に誇りを持てるかどうかであり、職種によって優劣があるとは思っていないが、トイレ掃除に誇りを持てるいうのは余程人生を達観した人でないと無理だろう。俺にはとても無理だ。幸いにして俺は一生を捧げるに相応しい仕事を見つけることができた。今極端に忙しいのはその為でもあるが、これを幸福と言わずして何と言おう。よって、いかなる困難があれども俺はその全てに感謝する。ありがとう。
10日
もともとは2345から坂本龍一音楽の学校スコラを見るためにチャンネルを合わせたら勝手に目に入ってきた新ビバリーヒルズ青春白書だが、どうやらはまってしまったのか、今では2300の番組開始から見るようになった。といってもストーリー云々ではなくて、俺の高校時代との乖離っぷりを驚嘆するためのある種ギャグドラマ的な存在だ。まさにあり得ない世界のオンパレード。次回の予告編では転入生美女が「ハロー、私の体にはピアスが3つ、どこにあるかは内緒ね」などと自己紹介している。ありえん、ありえん。とにかく毎回ありえんのオンパレードで、俺はそれを楽しんでいるというわけだ。しかしながら、俺自身にもありえんことがある。ビバリーのような青春時代というわけにはいかなかったが、それでも若い頃は土曜の夜家にいるというのはどこか恥でもあるような自分がいて、予定があろうがなかろうが無理矢理にでもキタやミナミに遊びにでかけたものだ。それが今ではすっかり家で落ち着いているし、またそんな時間が貴重だと思うし、実際楽しい。特に、週末の夜に読書の時間があるのはありがたいと思う。もう放送は終わってしまったが、土曜1830からの日本居酒屋紀行は毎週楽しみにしていたが、なくなってしまって残念だ。現在その他毎週見ているのはいずれも週末の情熱大陸及び龍馬伝だが、龍馬伝については素材の良さ手伝って面白く見ているが、結局は例のラストシーンへ一話一話向かっていると思うと、日本史としては別にしてもドラマ的にはハッピーエンドと言えないだけに一抹の寂しさが漂う。それでも最後まで見るけどな。やはり俺は潜水艦ものと特殊部隊もの及び幕末ものに弱い。
7日
連休前の最後の平日、京都国立博物館で行われている長谷川等泊展に行ってきたが、着いてびっくり、チケット売場の横では案内係が「現在100分待ちです!!」と大声で連呼しているではないか。かのゴッホ展でも平日であればここまでの行列はなかった。列の長さだけで判断すれば俺が過去足を運んだいかなる画家よりもダントツの人気振りだ。並ぶのが嫌いなので諦めて帰ろうかとも思ったが、この日に観ておかないと後は連休を残すのみとなるし、幸いリュックの中に読みかけの小説が入っていたので、おそらくこれが人生最後のチャンスと覚悟を決めて列に付いた。その甲斐あって松林図屏風を始めとする傑作を肉眼で観ることができたが、あまりの人の多さでとてものんびり鑑賞できような状態ではなかった。それでも生で観ることができたので、一応の満足感はある。俺が一番好きな画家はルオーだが、ちょうど昨年が没後50周年ということで大回顧展があり、何度も東京へ足を運んで堪能した。今一番来てほしいのはマティス展だな。
翌月の雑記へ