30日
早くバーガーキングが梅田に出店しないものか。ミナミまでいちいち買いに行くとなると難波までの往復運賃480円に加えて余分な時間を要する...のだが、俺はバーガーキングのワッパーチーズが好きなので、なんだかんだで週に一度は買いに行っている。よって、梅田のみの用事で済むときもわざわざ難波まで行かねばならぬ。梅田に店ができればそれで済む話なのだがな。良い店舗が見つからないのか、出展の計画がまだなのかは知らぬが、ここに一人強く待ちわびている男がいることを明言しておく。本町にもあるのは知っているが、街歩きの面白さに著しく欠けるのでパス。
阪急三番街に新しくオープンした焼きスパ「ローマ軒」の店前を素通りできずに突入。俺が注文したのはナポリタン並480円だが、なかなか美味しかった。ナポリタンというのは一見簡単そうでいて早めに麺を茹でておいたりと3分クッキングというわけにはいかぬ。この値段ならまあ外で食べてもいいかなと思う。粉チーズも大きな容器でたっぷりかけ放題というのもいい。ちなみに、俺が外で食う気がしないランキングの筆頭は天津飯だ。卵なら冷蔵庫に年中あるし、鍋二つ使えばそれこそ一瞬で出来る。カニカマがあれば一気に豪華になるが、それでも材料費などたかがしれている。あんは醤油、塩ではなく甘酢が一番好きだ。
27日
女子フィギアを見たいのだが、民法の放送が昼間にしかないのが残念だ。というのも、グレイシー・ゴールドを見たいから。単に「美しい」だけならTVを点ければ大勢いるが、これが「品のある美しさ」となると一気に少数になり、更にはそこに貴さが加わった「貴品ある美しさ」となれば映画スターでも皆無に近いものがあるが、その貴品が彼女にはある。そういう意味においても、グレイシー・ゴールドの顔は一度見たら忘れがたい。どこの名家の出身か?と誰もが思う顔立ちだが、彼女を見ると「風と共に去りぬ」を思い出さずにはいられない。まだ19歳だそうで、前回俺が見たオリンピックのときよりも少し大人っぽくなっていると察する。一体この先、どんな見た目の女性に成長するのか興味津々だ。こう思うということは、俺は彼女のファンなのだろうか?けれど、美し過ぎて性的な願望などは全くないのだがな。ただ見ているだけでいい。まあ、ここまで言わせるのだからやはり凄い顔立ちだ。
24日
三連休の三日目、調教依頼のあったM女とミナミで会う予定でいたのだが、JRが16時以降運休になるということで中止、その代わりに一日のんびり過ごすこととなった。俺と同じく予定を取り止めてのんびり過ごした人も多かったのではないか。こういうことでもなければ何かと予定を入れてしまい勝ちであり、たまには全くフリーな日もいいかもしれない。その日の全予定、9時起床、風呂、研究的読書、11時40分食材買い物、12時近所の蕎麦屋で一杯、12時50分横になって睡魔が来るまで娯楽的読書、16時頃まで昼寝、あれこれ読書(途中瞑想とストレッチ)、20時20分晩飯仕込み、20時30分風呂、21時吉田類酒場放浪記を見ながら晩酌(はまち刺身、中華風かに玉、アボカドと納豆の和風パスタ風うどん、スタミナ納豆とご飯、茄子とさつまいもの味噌汁)、睡魔が来るまで読書...とまあ、こんな具合。昼間、蕎麦屋にて漬け物で一杯呑んでいると「ざる蕎麦、かた麺で」と注文している輩がいた。蕎麦屋でかた麺?お嬢様育ちのM女のために一応説明しておくと、茹で時間を短くしてくれという意味で、ラーメン屋ではよくある注文スタイルなのだが、蕎麦屋でかた麺とは著しい違和感を感じる。単に固いのが好きなのだろうが、蕎麦とうどんは任せるべきではないか。「うちはそんなのやってないよ」などと店主が奥から出てくることも考えられたが、どうやら客の注文に応えた様子。受け流す店主の度量にのんびりとした昼間酒の時間が保たれた。二合目を行きたいところだったが、財布持たずにポケットに千円札を一枚突っ込んだだけだったので、俺もざる蕎麦を楽しんだ。
20日
昨日のNHKスペシャルは凄かったな。誘いを振り切って帰って良かった。
この時期の電車内の空調設定は滅茶苦茶やな。特にJR。暑いのに暖房、寒いのに冷房。よって、そこを快適な読書空間にするためには弱冷車を選んで乗るのが無難だ。その点、阪急電車は車掌がこまめに車内を動き回って日除けを上げたり下ろしたりと、明らかにJRの車掌よりも気が利いた働き振りだ。JRの車掌は基本あの後方スペースから出てこないからな。だから車内温度が適切かどうかもわからないのだ。まあ、企業体質と言ってしまえばそれまでだが、よって俺は雰囲気から何から阪急電車の方が好きだ。ただし、JRでは仕事帰りのサラリーマンが車内で缶ビールやチューハイで一杯やっていても普通の光景だが、阪急ではそういう光景をあまり目にしないのは不思議なことだ。
16日
三連休の初日、大自然のど真ん中にある駅とも言えぬような保津峡の駅を降り、水尾川に沿ってのんびり4時間程亀岡の駅まで歩くお決まりのコースを楽しんできた。毎年秋になるとつい行きたくなる。のんびりした歩みで自然を満喫という意味合いもあるけれど、頭の中ではひたすらにアイデアを求めている。まあ、俺にとってこの散歩コースは少しばかり長い哲学の道といったところだ。途中、沢ガニやヘビ、タヌキなどが道を横切るような大自然の中の緩やかなコースなので考え事をするにはもってこいだ。といったところで、得てして考えを休んで自然に浸ったときにフト閃きがあったりする。この日もたくさん得た。これらは貴重な天からの授かり物である。いつも朝飯も弁当も食べないので、亀岡駅の売店で買う缶チューハイが食前酒となって胃を強烈に刺激する。その後、河原町へ出てでたらふく食うことになるのだが、ラーメンか中華が最も多い。今回は長浜ラーメンみよしのメンマラーメンとご飯、家飯用にバーガーキング2個。帰宅後の風呂が心地良い。
9日
俺の長年の習慣、毎朝出勤したら広い緑の空間で一時間以上かけてストレッチ〜気功〜瞑想をみっちりと行っている。この話をすると「とても贅沢ですね」と言われる。俺もそう思う。雨が降っても屋根のあるスペースがあり、「今日は雨だから二度寝を...」などということも決してない。携帯の目覚ましが鳴れば、外で激しく降っていようが雷が鳴っていようがただ起きるのみ。屋根の下の地面には赤レンガが一面に敷かれている。ただ並べて置いてあるだけで目地の処理がなされていないので、その隙間ではゲジゲジやらマル虫、蟻などが多数出入りしている。よって、春から秋にかけての雨の日、その空間でストレッチや気功を行った後に地面をよくよく見ると、相当数の蟻を踏み潰していたりする。生真面目にせっせと食料を集めているのに、不可抗力とはいえ、申し訳なく思う。中には瀕死の仲間を運ぼうとしている者までいる。といって、いちいち足下に目を凝らしていたのでは気功にならぬ。そんなわけで、せめてもの償いというわけではないが、俺はいつもそのスペースで爪を切るようにしている。何故か?地面に飛び散らかった俺の爪を彼らはせっせと担いで巣まで運ぶからだ。10分も経てば跡形もなく綺麗に掃除される。瞑想中、俺の腕やら額に留まる蚊を仕留めてレンガの上に置くと、それもせっせと運んでいく。というわけで、彼らの相当数の人口を減らしてしまったかもしれないが、その補償としてそれなりの食料供給はしているつもりでいる。角砂糖でも置いてやればいいのかもしれないが、それはあまりに自然の営みに対する過度の干渉と言えよう。めっきり冷え込んできた朝夕だが、未だ彼らはせっせと頑張っている。巣に引っ込むまでにもう一二度タンパク源を供給してやれるだろう。
6日
秋だな、秋。性欲は通年のことなので、俺にとって秋といえばやはり食欲ということになる。これからの時期は俄然魚が美味しくなってくる。その筆頭は誰もが思い浮かべる秋刀魚だろう。内臓を抜き、抜いた内臓をアルミホイルに乗せて塩を振ったらグリルで香ばしく焼く。四等分して焼いた秋刀魚本体にホイルの内臓を乗せながら食べる。醤油もポン酢もおろしも要らぬ。この食べ方が一番美味しいと俺は思う。苦みのある内臓のみを肴に日本酒をちびちび呑むも良い。
「一番好きな魚は?」と訊かれれば、多少悩むところではあるが鯖を筆頭に挙げたい。焼いて良し、〆て良し、揚げて良し、生で良し。大好物の鯖おろし煮など飯が止まらない。鯖寿司や焼き鯖寿司も大いに結構。刺身はそれなりの店でしか口にすることができないが、中でもとりわけ関鯖の噛み応えと脂の乗りは日本人であることの幸せを改めて痛感する。福井へは好んでよく行くが、よくよく考えれば鯖を食べたことがない。いつも蕎麦と焼き鳥(秋吉)ばかり行くからだ。蟹とは言わぬまでも、次回は鯖の宿でも探して行ってみるか。きっと鯖しゃぶなどもあるに違いない。勝山のアマゴ料理の宿も気になっているのだがな。
いつぞやに親友と伊根で食べたブリシャブは旨かったな。ほんの一瞬でも湯に通すと肉に熱が入るのと同時に脂が落ちるので生とは全く異なる味と触感になる。肉厚のそれを一枚ずつ交互に刺身としゃぶしゃぶで食べたものだ。またぜひ食べたい。
さるM女が牡丹鍋に連れて行ってくれるという。周囲の反対を押し切って牡丹に盛られた肉を生のまま生姜醤油で食うのが好きだ。猪肉は赤身よりも脂身にこそ値打ちがある。よって、俺的には紅白ではなく真っ赤な牡丹は箸が進まない。出汁はその地方の田舎味噌をもって一番とする。〆は雑炊ではなくうどんが良い。生卵を落とすと見た目にも綺麗で猪肉の雑味も消えるが、それでは面白くない。
雑味は雑味のまま食してこその猪鍋だ。
白子鍋やあんこう鍋も食いたい。ああ、食いたいものばかりだ。これぞ健康の証。感謝。
2日
クーラーが壊れた。何もまだまだ残暑が続くこの時期に壊れなくてもと不運を呪ったが、すぐに、夏本番の時期に壊れなくて良かったと思い直した。歳と共に失うものも多いが、得るものだってある。感謝の気持ちもその一つだろう。若い頃は冒険やスリル、そして女を積極的に求めたが、今は何事もない平凡な一日も大切なのだと心の底から思うことができる。何かイベントがあるもよし、ないもよし。素直にそう思える俺は人生を半分ほど極めたのかもしれない。
翌月の雑記へ