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30日

今日の陽気で桜の花もずいぶん咲き進んだようで、近所や職場では早くも満開の桜が数本見られた。いささか思うところがあり、俺には今年のさくらが何者にも増してとても美しく目に映る。週末は雨の予報だが、天候が変わることを祈るばかりだ。いつまでも散ることなく、長く美しく咲いていて欲しいと願う。

26日

水曜ニュースアンカー青山さんの最終回が終わってもの悲しくも気が抜けた気分。CMで松坂桃李君が乗っているあの黄色いスーパーカーはおそらくデ・トマソ・パンテーラではないか?美しさとワイルドさが同居した素晴らしい車だと思う。昔、一度だけ目にしたことがある。まだ宇多津の埋め立て地が一面ススキだらけの原っぱで建設中のゴールドタワーだけがぽつんとあった頃、爆音を響かせながらパンテーラが俺の前を走り去ったのを見た。風にたなびくススキとパンテーラというシュールな組み合わせの光景だった。宇多津には仕事で一年以上滞在していたが、見たのはその一度だけ。ランボルギーニやフェラーリは何度も目にしているが、デ・トマソ・パンテーラを見たのは後にも先にもあれが最後。イオタは別格としてランボルギーニ・ミウラ並に珍しい車だ。何やら南米にジャングルに潜む幻の蝶のようではないか。俺の若かりし頃の人生設計では、今頃アルマーニを着こなしてモスグリーンの旧ジャガーに乗っている予定だったのだがな。そうなっていないというのは俺がそこまで熱望していなかった、ただその一点に尽きる。反面、実現したこともあるが、自慢話のようにになってしまうといけないので書かぬ。

23日

大相撲春場所、気が付けば琴勇輝を応援していた。気になり始めは立ち会い「待った」の後の審判部長に対する礼の仕方。適当な礼ではなく、きっちりとした礼をする。待ったの礼で会場が沸くのは琴勇輝くらいのものだろう。その他、所作の一つ一つをきっちりと行っている。所作の美しさでは先場所で引退した豊真将の持ち味でもあったが、琴勇輝もなかなか引けを取らない。礼儀正しい力士は見ていて清々しいものだ。勝った負けたを問わず楽しませてくれる。春場所が終われば本格的な春もすぐそこ。毎年当たり前のように咲く桜だが、平均寿命から引き算して満開の桜を楽しめるのも人生あと何回と数に換算すれば一度一度の花が実に貴重なものである。このような発想自体焼きが回った証拠なのだろうか?まあいいではないか、時間を大切に過ごすのは人生の基本だ。

19日

昨日、とてもショックな事実を知った。毎週水曜日に楽しみにしている青山繁治さんのコーナーが来週で最後だと言う。何ともいきなりではないか。一体何があったのだ?春からはまた別の番組で話が聞けるのか聞けないのか?聞けないのならとても残念なことだし、関西の番組だからこそあそこまで言えたということもあるだろう。ああ、とても残念でならない。寂しくなったら著書を読み返すなりyoutubeで拝見するとしよう。青山さんには今まで9年間ありがとうございましたと心からお礼を言いたい。
注:Googleで検索してみたら、どうやら春の番組改正で青山さんのコーナーがあった番組自体がなくなるそうだ。やむなし。

16日

俺の持論として、誰であれ、例えそれが天賦の才のない分野であれ、長年うまずたゆまず必死に頑張っていればある日突然ちょっとしたチャンスが一回くらいは訪れたりする。それまでに十分実力が蓄えられているならば、チャンスはその一回で十分。反面、実力が蓄えられることもなく、天賦の才もないとなれば、もう日の目を見ることはないだろう。世の中の99%が凡人である以上、早々に売れたり繁盛したりするのは考えものだ...というようなことを近所で苦戦しているラーメン屋の主人に話した。事実、駅前にあった中華料理屋はあるメニューがヒットして「魔法のレストラン」で取り上げられ、しばらくは行列の絶えない人気店へと変貌したのだが、残念ながら実力が十分蓄えられていなかったのであろう、そこからそう遠くない内に閉店してしまった。この話は芸能界が最も当てはまる。ここ最近テレビでは見ない日がないといっていい林修などはたった一回のチャンスをキッチリとものにしたようだ。十分な実力があったからこその今の結果だろう。魚クンや松子デラックスもその口ではないか。俺も日々努力を怠るまいと思う。

12日

金田一耕助シリーズのDVDが順次書店で販売されることになった。俺の購買欲を見事に捉えた企画だ。当時、幼少だった俺はこの番組をホラーとして見ていたものだ。あの頃は漂流教室も俺にとってはホラー漫画だったしな。ところが、再放送で見るようになると極上のエンターテイメントであることに気付く。中でも傑作は「八つ墓村」だろう。過去幾度となく映像化されているが、未だテレビ版を越える作品はない。関西人として自慢なのが、金田一耕介シリーズを作ったのは、TBSではなくMBSであるということ。良いものを作れば時代を超えてこうしていつまでも残る。MBSは本当にいい仕事をした。最近のドラマは全て使い捨てだな。そもそも見ようとも思わない。俺がほぼ毎週チェックする数少ない番組の一つ情熱大陸も実はMBSだ。みなTBSだと思っているのではないか。昔に比べて質が落ちたような気がしないではないが、それでも週の仕事始めを迎える前夜に見るにはいい番組だ。まあ、最近ではNHKプロフェッショナルの方が好きだけど。金田一耕助シリーズといえばエンディングに流れた茶木みやこの曲がとても印象深かったが、「幻の人」「あざみのごとく棘あれば」の両曲が収録されている撰歌というアルバムが復刻発売されている。しかしながら、TV放送では「あざみのごとく棘あれば」は印象的なアルペジオで始まるのだが、アルバムではそのアルペジオがない。カットされたのか、あるいはMBSが後からアルペジオを加えたかのいずれかだが、復刻してくれたのはいいが大いに不満が残るところだ。

9日

年末の特番でベスト10のみ見ればそれで良しと思っていたNHKドキュメン72時間だが、タイトルにつられてついつい見てしまった。すなわち、そばの自動販売機。といっても、カップヌードルのそばに自分で湯を注ぐセルフ式ではなく、天ぷらそば又は天ぷらうどんが完成形として出てくる昔ながらのアレだ。俺がまだ青春前夜だった頃、春休みや夏休みになると一人旅と称しては母の制止を振り切って近畿地方一円を自転車であちこち巡っていた。これこそが俺の野宿のルーツでもあるのだが、そんな折、真っ暗な夜中の国道をヨチヨチとこいでいると前方に何やら明かりが見えてくる。もうそれだけで十分にワクワクするイベントだった。近づいてみればオレンジ色のテントの下に4,5台の自動販売機が並んでいたりする。よくあるパターンがプラッシーのジュース、エロ本、大人のオモチャ、そして今回ドキュメント72時間で登場したそばの自動販売機。エロ本と大人のオモチャを眺めながらすすったものだ。今では蕎麦好きになった俺だが、当時のチョイスは天ぷらうどんオンリー。天ぷらとも言えぬ完全に油が回った揚げカスの固まりと言った方がいいような一杯ではあったが、これがどういう訳だか妙に美味しく、また心と体に染みた。今の時代、コンビニもあれば深夜営業の飲食店もあるというのにわざわざそばの自動販売機に集まる人々も俺と同じようなことを言っていたのが印象的だった。なぜかあのそばの自動販売機には人の心を温める何かがあるようだ。俺にはそれがとてもよくわかる。カウンターの表示は40万食を越えていた。部品の調達もままならぬそばの自動販売機は一台一台と全国から姿を消しつつも40年以上人々の心と体を温め続けているのかと思うと感動的でさえある。年末の特番ベスト10入りを熱望する。深夜の自販機では他にもいろいろ食べた記憶がある。カレー、ピラフ、ホットサンド、たこ焼き、フライドポテト、ホットドック...今ではそんなレトロ自販機を求めて全国を巡るマニアまでいるそうだ。それはどこかしらゲームセンターの片隅にあるピンボールに似ている。同じくメンテナンスと部品調達が困難なので現役で遊べる台が希少となっているのだ。大阪駅前ビルの地下ゲーセンでよく遊んだピンボール台は今でも遊べるのだろうか?

5日

寄付の件につき励ましのメールまでもらって恐縮する次第だが、俺のタグは仕込んであるもののAmazonの承認を得ていないので、いくら買い物してもらおうがこのままでは俺は一銭も支払いを受けることができないそうだ。Amazonのアフィリはアダルト禁止なので俺のサイトが承認されることはない。よって、この企画はいきなり頓挫となってしまったことを報告すると共に、協力につき心から感謝する。

休日の朝に新聞は見ないようにしている。新聞を読めばどうしても番組欄にも目が行くが、何か面白そうなドキュメント番組など見付けてしまうと、予定に影響が出ないとも限らない。例えば、ジュンク堂でのんびり過ごそうと予定していたのに、番組見たさに早く帰るというような事態は避けたい。知らぬが仏。録画すれば済む話だが、昔から予約録画機能は使っていない。そもそも俺が配線したのでアンテナはテレビに繋いである。テレビを消したまま信号をスルーしてHDDに録画できるのか?などと考え始めると、そこまでしてわざわざテレビの時間を増やすこともあるまいという結論に至る。

2日

昨日は映画の日が重なった週末。こんな休日はほとんど一人で劇場へ向かう。俺は映画を見る時も絶えず何か考え事をしている。概ね、映画6割、考え事4割と言ったところ。一本目「シェフ」は脳天気な映画であったので自然俺の思考も脳天気になる。すなわち、劇中のシェフの如く料理上手な男は女にモテる。では、俺はどうなのか?多少の自信はある。しかしながら、女性に料理を振る舞ったことが一度もないし、これからもないだろう。「ちょっとこれ味見してみて、どう思う?」などとは一生言わぬ。そこから思考が派生してあっちこっちへ飛んだが、いちいち書くのは面倒なので省く。同時に映画は十分楽しんだ。劇場出て鶴橋へ買い物。親父の好物キムチサンド、キムチ、豚足、キンパブ(韓国風海苔巻き)。それらをロッカーに放り込んで劇場横の寿司屋へ。鯖×2、鰺×2、鰯、漬けまぐろ、ホタルイカ沖漬け、日本酒一合。これらが二千円で釣りが来た。この寿司の質でこの値段はあり得ない、我が愛すべき市場寿司。二本目は「アメリカン・スナイパー」。なかなか重たい映画だが、いろいろなことを再確認できた。例えば俺はこの日、映画を楽しみ、買い物を楽しみ、寿司を楽しみ、更にもう一本映画を楽しみ、焼き肉を楽しみ、ラーメンをそれぞれ心から楽しんだ。なぜ、それが可能なのか?俺に人並みの小遣いと休日があるから...まあ、それもそうだろう。けれども、決定的に重要なのは俺に心の平穏、心の平安があるからだ。幸い、俺は絶望を経ずしてこの真理を得ることができた。金持ちが必ずしも幸せとイコールにならないのは、すなわち心の平安がないから。俺はそれを知っている。以前、俺は毎朝日の出に向かって「今日の平凡な一日の始まりに心から感謝します」と拝んでいた。けれども、あるとき、それは誤りであると気が付いた。以来、「今日のこの最高に幸せな一日の始まりに感謝します」と拝むようになった。謙遜ではない。心からそう思う。アメリカの日没も近い。次は中国?ロシア?インド?けれども、俺は実際にUFOを見たことがある者なので、ある日突然地球外から侵略者がやって来れば文明の差で勝てるわけがない。けれども、こうして既に地球を視野に捉えている彼らがそうしないのは、ある程度以上の文明を築くには平和が必須項目なのではないか?なればこそ、それがビッグバン以後文明進化ゲームに立ち後れた太陽系の我々が未だ侵略を受けずに住んでいる理由なのだ....などということを考えながら「アメリカン・スナイパー」を干渉。敵スナイパーの銃はドラグノフか?俺が来世で成ってみたい職業ナンバー2のアメリカ海軍特殊部隊SEALSは一般人から一足飛びに成れるのだな。てっきりレインジャー部隊等を経由しないとなれないとばかり思っていた。映画鑑賞の目的は何かと問われれば、それは面白い映画を堪能することでも、休日にのんびり過ごすということでもない。そうやって鑑賞中に思考をとめどなく解放することによって突然閃くアイデアこそ得難きもの。これ一つで俺のどんなくだらない休日も報われる。心の平安はジャンボ宝くじに10回当選した以上の価値を持つ。どうぞこの雑記を読んでいる全てのM女に心の平安が訪れますよう、心から祈る。