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30日
昨日の内藤は残念だったな。遺恨を残すような内容ではなく、いい試合だったのは幸いだ。最後に亀田が守りへと逃げなかったのは大いに評価したい。放送開始から試合がなかなか始まらないのでNHK坂の上の雲を初めの10数分程見てみたが、なかなか面白かった。で、再びボクシング中継を見て判定の勝ち名乗りを見届け、再びドラマにチャンネルを戻した時はもう主人公たちは幼少期から立派に成長していた。男ならみんなボクシングを見るだろうから、昨日の坂の上の雲の視聴率はあまり芳しくなかったのではないか。日曜美術館に好みの画家が取り上げられない限り、来週からはきっちり見てみようと思う。

26日
何やら気合いの入った壮大なドラマであるようなので次の日曜から始まるNHK坂の上の雲を見てみようと思っていたのだが、ボクシング中継と完全に時間が被ってしまったな。男ならそりゃあボクシングの方だろ。俺は内藤を応援する。頑張れ。来年のNHK大河ドラマ坂本龍馬の予告編を見たが、こっちもなかなか気合いの入った撮影だな。坂の上の雲といい、こういう作品を作ってくれるのならば、税金は払うのもばかばかしいが、受信料はまだ払い甲斐があるというものだ。アメリカはスポンサー料のみで映画並のドラマを作っているが、日本に入ってくるそれはどれも面白いので毎週それらを見るだけでも相当な時間が必要だろうな。その点日本はくだらんドラマが圧倒的だが、時間の浪費を免れているという点では幸いしている。

24日
もうこれ以上趣味は要らないと思うが、この先余裕ができれば唯一始めてみたいと思うのが陶芸だ。プロの陶芸といえば薪を焚いての年に数回の釜入れで「さて、その仕上がりは?」の世界だと思っていたが、情熱大陸によれば昨今は電気釜なるもので実に手軽に焼き上げることができるのだな。凄まじい電気代がかかるのだろうが、その作業負担の少なさは門外漢の俺にも察するに余りある。にしても、情熱大陸の彼の作品は良かったな。釉薬とは上からかけるものという大昔からの常識を打ち破り、その内側に混ぜてしまった発想の大転換は陶芸界において相対性理論並の発見だったのではないか。長い陶芸の歴史において今までなぜ誰もそれをやらなかったのだろう。同業者にしてみれば「しまった、その手があったのか!!」とばかりに歯ぎしりした者も少なくなかったはずだ。追随者も出るのだろうが、その技法がスタンダートになるまでは二番煎じのそしりは免れない。これを教訓にして俺の携わっている分野においても一大革命を引き起こしてみたいものだが、なかなか。

18日
先日、公園でくつろいでいると市で雇われたのであろう落ち葉はきの掃除夫がいた。せっせと落ち葉を集めてはゴミ収集袋に詰めている。一見ごく普通の光景ではあるが、俺は違和感を感じる。落ち葉など放っておけば良いのではないか。作業員の税金を節約せよということではなく、自然の山と同様に放っておけばそのまま朽ちて公園の土の養分になる。住宅街へ飛び散って苦情でも来るというのであれば、各人苦情を言うよりも落ち葉を掃き集めてゴミ袋に詰め、それを踏み潰して自分の家の庭にでも撒いておけば良い。要は、俺の認識では落ち葉は決してゴミではないということだ。葉っぱというのは決して寒さに屈して枯れるのではなく、寒さを関知すると一冬乗り越えるためにその養分を本体の幹へ送ると聞いた。地に落ちるそれは生命を全うした実に賢いやつであり、最後の役目である「地に還る」という最後の一仕事が残っている。昔の人が好んで落ち葉で焼き芋を作ったのも、単にさつまいもの旬というだけではなく、自然に対する尊厳が根底にはあったのだろう。昨今都会のそれはどうやらゴミ袋に直行するようだが、葉っぱにとっては残酷な話であり、人間にとっては愚かな話でもある。

16日
白い巨塔ほどの盛り上がりがないまま山崎豊子原作ということで不毛地帯を見続けているが、さて今後翌週が待ち遠しくなるような展開はあるのか?和久井映見葉知らない間にいい役者になったものだ、とまあ今のところはそれくらいか。華麗なる一族はキムタク主演ということで見る気がしなかったが、昨年暮れの再放送を何話か見たら原作が良いのでそれなりに見ることができた。同じく山崎豊子原作沈まぬ太陽も気になるが、基本的に映画館に足を運ぶのは土派手なアクション映画のみなので、いずれテレビで目にすることもあるだろう。次に劇場行くのは2019(?)という映画で、とにかく予告編の天変地異のシーンが凄かった。年末の錦市場の買い物とのセットで行くが、楽しみだ。

12日
先日再放送されていたNHKザ・プロフェッショナルの農村診療所医師のやっていることは素晴らしかった。その上で、近代医療に違和感を持つ者として一言述べてみたい。番組中、近代医学が得意とする精密検査で寝たきりの老人が肺炎であることが発見され、もはや致命的になりかねない状況を未然に回避できたというものだ。我々は死を避けるべきものとしているが、人間死に時というのもあるのではないか。近代医療で無理矢理に延命したところで再び元気に歩き回れるのならまだしも、多くは気力もなくただベットの上で寝転ぶ時間が増えるだけの話ではないのか。人間ある程度の歳になればいつ死んでもいいくらいの覚悟は必要だろう。更には、老いも若きもいつそうなってもいいように日々懸命に生きることこそが人生ではないのか。昔の武士と呼ばれる日本人はこれを突き詰めた。葬式でみだりに悲しんでばかりというのもどうかと思う。事件や事故で惨死でもしたなら話は別だが、老人と呼ばれる年齢に達しての病気の死であれば、むしろ今までの人生に敬意を表して笑って送るくらいでもいいのではないか。少なくと俺ならそうしてもらいたい。悲しいのはわかるが、みだりに悲しみ過ぎるのも逆に不謹慎であるとさえ思う。どこかの部族でまるでお祭りみたいな葬式のCMが流れているが、あれこそが死者に対する自然な尊厳なのだと思う。

9日
以前のが壊れたので新しい掃除機を買った。今流行のサイクロンタイプのやつだ。まあ今の内だけだろうが、部屋をひと掃除するたびに中を確認しては「うお、こんなに吸ってる!」と嬉しがっているわけだ。ダイソンがボディーを透明にして中のゴミを見えるようにしたとき、こんな汚いものが見える製品は売れないと開発陣は言ったそうだ。それに対して「例えば、鼻をかんだとき、人はどれくらい出たかティッシュの中を見たくなるものだ」とダイソンは主張した。結果、それは世界中で売れまくった。俺の買ったのはダイソン社製ではないが、たまったクズの分だけ部屋が綺麗になったわけだから、それが目で確認できるというのは楽しいものだ。15,000円も出したので、今度こそ長持ちしてもらいたいものだ。最も、最近の掃除機にしては安い方かもしれないが。

2日
阪急百貨店と阪神百貨店を結ぶ歩道橋でのライブはもはや名物となっているが、あの場所取りというのはどうなっているのだろう?朝早いもの勝ちなのか、それとも誰か場所を仕切っている者がいるのか?たまにJR側の階段を降りたところでソロライブをやっている者もいるが、正直多くは聴くに耐えぬレベルだ。しかもそういうのに限ってオリジナルではなくコピーを歌ったりする。プロ志望の者がせっかく人前で歌うのに自分の歌をアピールしないで何がしたいのか?どんなに無名であれ、才能があれば自然人垣ができると思うが、一度梅田でそのレベルにお目にかかってみたいものだ。その横ではホームレスを支援するための雑誌ビッグ・イシュー日本語版が売られているが、以前TVで見たドキュメントによればあの販売員もホームレスだそうで、買う人もほとんどいない中でずっと雑誌を掲げて立っているが、腕も相当だるくなるはずでなかなか大変な仕事だ。ダンボールや空き缶集めもそうだが、あそこまでの重労働ができるのならば普通の仕事にだって就けるだろうにと思うが、住所不定だとどこも雇ってはくれないのか。その身なりがあまりに普通なだけに世の中の厳しさが余計に伝わってくるようだ。

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