30日
人間はここ一番の土壇場で美しい心や醜い心が如実に現れる。普段性格の良さそうな人が取り乱したり、普段ちゃらんぽらんに見える人が意外にどっしりしていたりと、様々だ。最も、一般人にとっては「ここ一番」など滅多にやってこないが、今回震災を受けて避難所にいる方々は確実にここ一番を経験している。震災当初、ニュース番組である記者が避難所の食事状態についてインタビューをしていた。「食料が全く足りていません。常に空腹です」とある人。「上げ膳据え膳で食事を頂いております。感謝を通り越して申し訳ない気分です」と別の人。全く同じ食事をしていてもこれだけの違いが出る。後者は女性のお年寄りだったが、強い人間とはこういう人のことを言うのだ。俺もかくありたいと思う。
28日
週末、前売り券と本を一冊カバンに放り込んでマルイにあるシネコンに向かった。「エクソシストの真実」を観るためだ。ところが、上映時間案内の掲示板に作品がない。なるほど、ここではなくてナンバパークスの方かと足を運べば、こっちでもやってない。なるほどそれでは18禁か何かで小劇場でのロードショウになったのだろうとめぼしい映画館を回ったが、結局どこでもやってない。そのまま諦めて帰る性格でもないので、次はネットカフェに入って検索してみた。するとどうだ、今回の震災により封切り延期とあった。まさか映画にまで影響が出ているとはな。どうにもならぬのでマッチョで「中の野菜モリモリ背脂モリニンニクチョイモリのチョイカラ」を食べてから梅田ジュンク堂へ移動して終日本選び。マッチョについてはいずれ語るつもりだが、俺は未だこの店で女性の客を一人も見たことがない、そんな店だ。
24日
海外では、「なぜ大規模な災害に付き物である略奪が日本では発生しないのか?」ということが話題になっているそうである。日本人からすればそのようなことが話題になること自体逆に不思議な気もするが、とにかく、彼らにとって今の被災地での秩序ある行動は信じがたいもののようである。「日本人は誇りと尊厳を持った民族だから」、「彼らの姿を見るともっと応援したいと思う」等といった意見が見られた。不幸な中においても我が日本民族ここにありではないか。反面、国内ニュースによれば関東地方ではあれこれ買い占めが行われているそうだ。もし極端に買い占めた人がいるのなら、今は自分の家に大量のストックがあって一時は幸せだろう。けれども、そのような行為には必ず代償が待っている。この非常事態において、何も買い占めに限らず自分だけが良ければそれで良し、そんな行為を天が見逃すはずがない。いつか必ず罰は下る。人生そんなものだ。もし当人に罰が下らないのであれば、それは見逃されたのではなく単に罰が子孫に延びただけのこと。ではおまえは買い占めしないのかと問われれば、やはりしない。俺なら断食に入る。このような災害に備えて成年男子は常日頃から断食の心得が必要であると真剣に思う。震災に遭った人々と同じ痛みを、というわけではないが、俺も来週断食を行う。
22日
職場での休憩時に携帯から証券会社のサイトにアクセスして自分の買った株価をチェックしてみたら、そこには一瞬数値の意味が理解できないほどの差益が出ていた。決済していないので単なる含み益に過ぎないが、とりあえず俺は今回の賭に勝ったようだ。通常株というのは様々な要素が絡み合って価格に反映するが、今回はメルトダウンするかしないかの一点のみを判断すれば良いだけだったので、俺のような素人でも全額資金投入しやすかった。とりあえず今日一日は差益の画面を待ち受けにして気分良く過ごしたが、明日からは一旦買った株のことは忘れて放置するのが俺のやり方だ。次に世界的な○○○ショックが訪れてもマイナスにはならぬと読んでいるので、最低でも2倍になるまでは売らない。それまでは配当だけの喜びで十分だ。とりあえず最初の配当が来たら親友と高級焼き肉にでも行くとしよう。ちゅうか、結局は焼き肉吉田なのだがな。
16日
さて、俺は本日、株、正確に言えばETFを購入した。最大のピンチは最大のチャンスであるという信条からだが、これで原発の復旧が上手くいかなければ、俺はわざわざ焼け火鉢に手を突っ込んだことになる。そういう意味において、恥ずかしながら俺はETFを購入したことによって初めて被災者の人々と同じ気持ちになれたように思う。頑張れ原発の作業員、頑張れ被害に遭った会社、と今心から思える。幸いにして益が出たら、人としてそれなりの割合を寄付しなければならんだろうな。
14日
今回の地震の被災者に対して心よりお見舞い申し上げます。と同時に、もしも被災者男性諸氏がこの雑記を読んでいるならひとこと言いたい。日本男児たるもの決して心が折れてはならぬ。これが全てだ。中には家族を失って泣き伏したい者もいるだろうが、それは騒動が収まってからでいい。先ずは、一家の大黒柱たるべく決して泣いてはならぬ。さぞ空腹だろう。しかしそれは断食が始まったと思えばいい。外部から食を絶たれたと思うのと、自らの意志で食を絶ったのとでは、その空腹の度合いも意味合いも全く異なる。自分のおにぎりを子供ないし両親に与えよ。人手不足でいろいろあろうが、参加する必要はない。先ずは家族の支柱になるべし。復興に参加するのは三食まともに食えるようになってからで良い。何を偉そうにと思うなかれ、俺とて過去に阪神淡路大震災を経験している。再度言う、決して心が折れてはならぬ。
7日
最近、コンビニでお年寄りの姿をよく見かける。そっとカゴの中身を覗いてみれば誰しも数日分の食料品を買い込んでいることは明らかだ。近所にあった小売店やスーパーが閉店してしまい、こういう事態になっているのだろう。あの歳まで人生頑張ってきたというのに、晩年の日々の食事がカップ麺や菓子パンではあまりに気の毒ではないか。おまけに、こういう人たちは体が不自由で皆車を引いていて、買い物カゴをレジまで持っていくにも一苦労している。毎回見ていて泣けてくる光景だ。そんなコンビニを一歩出ると、横の壁には「国民の生活が第一」といったポスターが未だに雨ざらしで貼られている。一体この国はどうなってしまうのだろう?とりあえず我が親だけはああいう風にはさせまいと強く思うし、それは育ててもらった子供として当然の想いだと思うが、もし一人一人がそう思っているのならばああいった老人はいなくなるはずで、そうも簡単にいかないのが人間なのだろう。コンビニのそれはまさに無縁社会を象徴する光景となっている。イトーヨーカ堂などは宅配に力を入れているようだが、携帯に疎い世代ではそれもままならないだろう。コンビニといえば苦し紛れの食事を買うところといったイメージだったが、もはやこうなると立派なライフラインだな。とりあえずは国から補助金出してもらって老人割引などを積極的に行うべきだ。
3日
以前食べたセブンイレブンのチキン南蛮がタルタルソースたっぷりで美味しかったので昨夜また買って食べたのだが、朝起きたら胸焼けしていた。どうやら積極的に食べるべきものではなさそうだ。その朝の味噌汁の美味かったことといったらない。
またカレーを作った。前回は初めてフルーツジュースを入れてみたのだが、その効果がイマイチだったので、今回は指定の水1,3000ccのうちの400ccを100%フルーツジュースにして入れてみた。前回の倍の量だ。結果、完成直後の味見ではかなりいい感じのフルーティーなカレーに仕上がっていたのだが、夜に食べたらフルーティーさが全く消えていて、ほぼいつもの味だった。次は更にジュースの量を増やす手もあるが、まあ、この実験はこれくらいにしておこう。既に美味しいカレーを作っている自負があるのであれこれやる必要はないのだが、カレーに限ってはあれこれ試さずにはいられない。次回密かに100円ショップで売っている桃の缶詰を汁ごと全て投入してみようかと考えているのだが、さすがにこれでは甘過ぎるだろうか?
翌月の雑記へ