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20日
宝くじ売場でジャンボを超大人買いしている人をよく見かけるが、あれは間違っているな。俺に言わせれば、宝くじは確率の問題ではない。当選する人というのは当選すべくして当選しているのである。決して偶然ではない。では何をもって当選するのかしないのかといえば、やはり神に選ばれたとしか言いようがない。彼らは神に向かってちゃんと手を挙げた。せっかく神に選んでもらったのにこっちが手を挙げていなければ神も他に代わりを探すしかない。よって、俺の理論によれば最低1枚はジャンボを買うべきなのだ。たった1枚でも当たるべき奴はちゃんと当たる。これが宝クジの真実だ。100倍多く買ったからといって確率が100倍高くなる訳ではない。よって、俺はジャンボを毎回3枚買って手を挙げている。俺が当たるべき男ならこれで十分なのだ。期待値理論によれば宝くじは買うべきものではないし、現に全く買っていない人も多いと思うが、せめて1枚は買うべきだな。最も、神に選ばれて当選したからといって、それ即ち幸運とは限らない。神のスケールは我々人智の遙か及ばぬところであるので、罰としての当選も十分にあり得る。この点だけは注意が必要だな。
俺はちょこちょこ映画館で映画を観ることを娯楽の一つとしているが、以前、本編前に月代わりで流れていたプレゼントムービー「紙兎ロペ」がいつしかとても楽しみになっていた。その「紙兎ロペ」の新作が毎週金曜朝の目覚ましテレビにて6時45分あたりから放送されている。興味のある方はどうぞ。
次回更新は年明け7日を予定しています。みなさん、素敵な年末年始をお過ごし下さい。
17日
過去幾度となく行われた年末の本の整理の網をくぐり抜け、未だbookoffに持って行けずにいる一冊「これが俺の味/著:大勝軒山岸一雄」。また読み返したら、例によって当然のごとく大勝軒のラーメンが食べたくなった。日本橋にある大勝軒は麺はすこぶるいいのだが、つけダレがとても大勝軒とは言い難い。扇町大勝軒の麺は日本橋より落ちる上にスープも今一つ。ということで、JR京都駅伊勢丹にある大勝軒に初めて行ってみたのだが、なんちゅうか、大勝軒ブランドも一つの時代が終わったのか、と思わずにはいられない味だった。特に麺が悲惨だ。最も、直系というか本家そのものでもある新東池袋店でさえ「???」だったので、他店は言わずもがなということか。俺が昔東池袋で食べたあの味はもうなくなったのかな?日本橋大勝軒は麺は最高ランクなのでスープをオリジナルに近づけてくれたら嬉しいのだが。ちなみに、俺が今一番お気に入りのつけ麺は南方にある笑福だ。つけ汁は俺の好みではないが俺は太麺が好きであり、何より次郎系の店なので腹一杯食えるのがいい。
13日
男に生まれたからにはなら誰でもそうだろうとは思うが、俺は人から指図されることを嫌う。けれども、俺が世間一般と違うのは、ちょっとこの先がある。例えば雑踏で肩がぶつかるなり電車で足を踏まれたりしたとしよう。普通ならムカッときたり、怒ったり、いらついたりするだろ。けれども、俺は決してそうはならない。それでは大切な自分の感情を他人から指図されたということだ。あり得ないことである。だから、俺は怒らない。「踏まれたこっちが悪いんです」とまではならないが、少なくとも何もなかった。無理に怒りを抑えるのとも違う。特に何も起こらなかったのだ。何かと世知辛くてささくれた時代だが、こういう考えもあるということを知って頂きたい。たまに雑踏でアリさんごっこをしてしまうことがあるが、「チッ!!!」とでも言いたげな苦い表情をする女性も少なくない。こんな女性はどれだけ容姿がずば抜けていようが、俺にとってはゴミ箱行き以外の何者でもない。反面、笑顔で「ごめんなさい」などと言われると思わず「素敵ですね」と言いそうになる。
10日
日本人プロ野球選手がメジャーへ移籍する際、「メジャーでプレイすることが子供の頃からの夢でした」という言葉をしばしば耳にするが、その度に「ホントかな?」と思う。野茂以前は、メジャーといえば完全に海の向こうの世界であり、日本人がプレイする場所ではなかった。よって、野茂は偉大だ。大きな道を切り拓いた。最初の一人こそ最大限に尊敬されるべきである。よって、上記の言葉がしっくりくるのは俺には野茂だけだ。江夏のことも忘れてはいけないが、野茂とはいささか事情が違う。藤川は来期メジャー挑戦となるが、藪や井川のように「一体何しに行ったんや?」みたいな結果にはならないでもらいたいものである。
3日
報道ステーションで京都から秋の紅葉の生中継をやっていたな。以前、別の番組だがそんな現場に出くわしたことがある。その日、夜の中継に向けて午後の参拝から一般立ち入り禁止となっており本来であればスタッフしか中に入れないのだが、俺はそんなことを知らずに午前中からのんびりと過ごしていたため、中継スタッフにただ一人一般人として混じってしまった。面白いので準備の様子をそのまま隅でしばらく見学したのだが、放送画面の静寂からは想像も付かない程に画面外では実にたくさんのスタッフがいるものだな。ざっと7,80人はいただろうか。その中継をしていたのはテレビ広島だったので、報道ステーションの生中継では更に人数が増えて100人は越えているのではないだろうか。あれだけ大勢の人間がいて画面に映るのはたった一人なので、アナウンサーというのはまるで固定給のある映画スターのような仕事だとつくづく思った。その手の若い女性が憧れるのも無理はない。
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